疑いは緊張。これが、現在の私の課題です。
神棚を前に、神様とトレーニングを先日から始めています(笑)
というか、「毎日トレーニングしろ。」と練習相手になって
くれることになり、始めさせられました。
神様相手にエネルギーを送る練習。
これがうまくいかないのです。それは、自分の中に、疑いがあり
それが緊張であるからです。
これを失くし、すべてを預けられたらどんなに楽だろう、、
そして、そうできることが自分自身の解放につながると
いうのはわかっているし、自力でそうするよう扉を開くしかない
のもわかっているのですが、中々難しく、模索中です。
このトレーニング中、神様と対話(鏡のような存在なので、
自分の中のもやもやを見つつ)の中で、
「あなたは愛について間違った捉え方をしている。」とのこと。
そこから、まだ私は宇宙や神様に対して憤慨している気持ちが
ぬぐえていないことが見えてきました。
「守ってもらえなかった。」「救ってもらえなかった。」
「辛かった。」「信じていたのに。。。」みたいな気持ちが
どうもまだ残っているようです。
そんな中々拭えない気持ちを抱えながらも、自分で作ったおでんが
美味しいことも、充分な愛なのに、人は中々勝手だなあと
思ったりしています。
この世に存在すること、すべての経験、これ自体が既に愛であり、
今日自分が生きていられることも愛であること、願い事叶えて
もらうために神様がいるわけではないこと、もう一度考えさせ
られる日でした。