阿蘇神社についたら、神主さんが朝のお務めを
されていました。
寒い日も雨の日も、毎日毎日欠かさず行われて
いる神事のおかげで、聖地が守られているのだと
改めて思いました。
清められたばかりの拝殿で、この一年の感謝をしに
来たつもりが、いざ手を合わせると頭真っ白。
気づいたらなーんにも考えていない状態になって
ました。でも、私にとってはそれが祈りなので
いいのだ、と自分に言いつつ、私の体の左側に、
ビリビリと電気みたいな光が流れているのを感じて
いました。
後から、そういえば何で左側だけなんだろう?と
思いましたが、いつかわかるかもしれない、と思って
特に気にしていません。
阿蘇神社には、阿蘇を開拓したタケイワタツノミコト
さんのお嫁さん、アソツヒメ(またの名をヒメミョウジン)
さんが祀られている場所がありますが、そこでつい、
「美人になれますように」とお願いしたら、「自分の
光を磨きなさい」と入ってきました。
いやいや、そういうんじゃなくて、気のせいかな、とも
思いつつもう一度「美人になりたいです」と心で言って
みると(しつこいですね)、またまた、「自分の光を
磨きなさい」と胸に響いてきました。
あ〜、わかりました。と諦めましたが、同時にきっと
光を注いでくださったのだと思います。久々、瞬間的に
泣きそうになりました。
そして、私のしつこいお願いにも関わらず、答えを
わかるように返してくれて、優しいなあ、、と思いました。
人はスピリチュアルに目覚めたり、急に興味を持ち
始めると、それまで何とも思っていなかったのに、急に
やれかみさまだ、とか宇宙が、とか言い出して特別視が
始まったりします。それは始めのとっかかりとしては
誰しもある事だし、仕方がないのかもしれないけれど、
人が興味を持とうが持つまいが、これまで人が祀ったり
祈りを捧げて来た歴史よりも前からずーっとある目に
見えないエネルギーの話しであり、今更どうのこうの
言う事でもないのだと自分を振り返って思ったことが
ありました。
どこにでも普通にいるし存在する、昔から「お天道様は
見ている」と言われますが、それと全く変わらずだと
思います。
だんだんと、エネルギーを感じられるようになったり、
メッセージが入ってくると面白く感じます。
たいそう厳かな存在(確かにそうだとは思いますが)
だと思いがちですが、お茶目であったり面白かったり、
おしとやかだったり、同じ所に行ってもその時降りてくる
エネルギーや年齢が違ったり、色んな感じ方をします。
思い込みとか、期待のエネルギーを抜くと、客観的に
素直に物事が見えて来たり感じやすくなってくると思います。
それも、開く、とか繋がるということの一つだと
思います。