このところずっと同じことを書いていますが、掃除も料理も早起きも、結局は自分が心地良いためのものだと私は思います。
だから何とか続きます。
掃除した後のキリッとした空気感を知っていると、掃除しないで何日もいた空間はだんだんぼやけてきます。それで気がついたら心身重たくなったり、物事の動きが鈍くなったり、イライラや不安が増えたり、、、を実感してはっとします。何度もそれを繰り返してきたので、そうなったら、とりあえず掃除をします。心が整うからです。
どこかに行きたくてしょうがない時も、とりあえず掃除して整えて、それでも行きたければ行く、というようにします。乱れた空間から逃げたいだけの時もあるからです(^-^)
自炊は、本当に美味しいご飯とお味噌汁、その他の料理でもいいですが、心の奥底まで染み込むようなご飯を一度知ってしまうと、それ以下にしたいと思わなくなります。
身体や心に染み込むような食べものには、癒されるしパワーチャージをして元気にぬるのを実感するからです。
絶対に美味しいご飯を食べたい、というだけでご飯とお味噌汁を作っているような気がします、最近(^-^)。自己満足だし失敗もよくあるけれど、美味しいものが食べたいと思ってて作ると、思わない時より上手く作れる気がします。家族には申し訳ないけれど、もちろん家族の体調に合わせたりもするけれど、美味しいものを食べさせたい、というより、最近は特に自分が美味しいものを食べたい、という理由でご飯を作っています。でもその方が続くし、探究心も出てきて楽しいのです。
早起きは、人に言っておきながら、一番苦手です。ガイドに起こされても、身体がついていかないよ〜、というエゴを通した20年でしたが、身体が辛いと思っても、起きてみると意外と早く大丈夫になります。
何より、心に余裕が生まれます。
だからか、直感の入り方も格段に違うことが多いです。1日が全然違ってきます。
掃除、自炊、早起きの中で一番大事なのは、早起きだと思います。なぜなら、掃除も自炊もできる時間を作るから、作りやすいから。
とまあ、それぞれについて長く書いてきましたが、あなたはそれを何のためにやっているのか、というのが大事なのではないかと思います。
もし、誰かや何かに褒められたい、認められたい、という理由だとしたら、真面目な人ほど、ボロボロになったりするのではないかと思います。
ボロボロになるまでやってしまう見返りを求めていないか、、、という自分を見つめて、自分が何を求めているのか、を考えてみる時かもしれません。
自分で、これで良い、と決めることは、自立した大人には必要不可欠なのだなあと、今年はよく思いました。
そして不思議なことに、自分で良いと決められないうちは、他人の評価を求めているくせに、実際評価を貰っても信じられず受け取れないものです。だから絶対的な自信とは裏腹に、 評価を思い込もうとしたり不安故の自信過剰みたいになったりします。
自分で、これで良い、と決めれると、他人の評価も落ち着いて冷静に受け取れます。
そういうのが本当の意味で、自信を持つ、ということなのではないかと、この頃思います。
自信を持つ、というのは、日本ではもしかしたら、自信過剰みたいなマイナスイメージかもしれませんが、本当の意味では、自信を持つことは、落ち着いて生きていくためにとても大事なことではないかと思います。
イメージ先行に長い間巻かれていましたが、今はそう思います。
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