自分を観察する力

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話を聞ける、ということは、自分の考えはさておき、
相手が何を言いたいか、ということを受け止めることが
できる、ということだと思います。
物理的に耳で聞けても、ハナから受け入れることができな
かったり、そういう考えがあるのだと認めることができない
場合は、話を聞けている、とは言い難いのかなあと最近思い
ます。

受け止めた上で自分の考えを再考する、明確にする、という
のであればコミュニケーションや対話になりますが、
全然受け入れることができないと、聞けないのと同じなので
コミュニケーションは難しいですよね。

相手に、何度言っても聞いてもらえない(受け入れてもらえ
ない)という経験を繰り返すと、もう言っても仕方が無い、と
人は諦めるものだと思います。
悔しい思いをしながらも、諦めたりすることもある場合も
あるでしょう。

人の話を聞けない人は、頑固だと言われますが、当の本人は
全然わかっていないことも多々あると思います。
信念、というか、自分の思いが強いので、間違っているなど
とはあまり思わない、考えないのだと思います。

「頭がいい」とか「いい子だ」と比較的言われてきた人に、
意外に多かったりするのかなあ、と思います。

普通のコミュニケーションは弁論大会ではないのだから、
自分の意見を通して相手を打ち負かすのが目的ではないの
だけど、気づかないところでそれに優越を感じている人も
います。こうなったらやはり面倒くさいので、周りも引いて
いくでしょう。。

自分の意見に自信を持つことは大事ですが、他人の意見を
受け止める器や余裕も大事で、やはりバランスですよね。

平和的にただ会話を楽しむ、というスタンスも大切なの
かなあと思いますし、言いにくいことも愛と信頼の中で
落ち着いて伝えたいですよね。

また、自分の得意分野になった途端に、心の中が批判的に
なったり、相手や周りをジャッッジしたり、、、。
端からみるとその人のエネルギーは乱気流なのに本人は
大得意の心持ちだったり、という状況。。。。。

人の話が聞けないことと共通しているのは、ニュートラルな
状態でない、ということ。つまり、客観的でいられていない、
ということ。それは、自分を見る目が客観的でないということ。

心の中に、優越が存在しハイやローを感じる時、グラウンディ
ングしていないと思います。

自分の心の中の小さな動きをよく観察し、整える、という作業。

何かがあって、何かを感じて、自分を整えていく、ということが
客観性の積み重ねであり、ニュートラルに近づいていく方法で、
他人批判で終わったり他人批判するのではななく、結局は自分を
省みることにつなげる、その積み重ねが大切なのだと思います。


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