何者にもならない

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個人的な経験ですが、資格を取るために勉強したものは、ほとんど失敗してきました。
その勉強に興味が多少はあったかもしれないし、初めはあったかもしれないけれど、資格を取ることが目的になったり、資格がある自分のためにやったりしたことはほぼ失敗に終わりました。

何かの能力がある自分になりたい、何かの資格がある自分になりたい、何かの職業がある自分でいたい、学歴のある自分でいたい、可愛いと言われる自分でいたい(^^;)、、、などなど、ざっくり言うと「何者かになりたい自分」なわけですが、それがあれば安心だと思って目指すのかもしれないけれど、気づかないうちにそうでない自分に劣等感を抱いたり卑下したりしています。
そしてそれに近づこうと努力するのだけどできない自分を見るから苦しい。上ばかり見るからどんどん比べて辛くなる。それのために努力できない時間がもったいないからいくら時間があっても足りないし、その意識に縛られているから自由もない。

何かに、何者かになることに価値を置いているからです。
何者かになって評価されたい、極論的には愛されたいから、だと思うのですが、先日も書いた優劣が隠れて(明らか?)いて、何者かになりたい、というのはエゴなので、これでは上手くいかないです。

基本的にエゴは苦しいものです。有頂天になったりハイテンションになったりもしますが、エゴや見栄はざっくり言うと優劣で、これがあるとどうしても苦しい結果にたどり着くように思います。

素の自分でいる、とは、何者にもなろうとしない自分、なのだと気がつきました。そして相手も何者でもない。

そして、何者かになろうとすることを手放したら、とっても軽くて楽で、内側からエネルギーが湧いてくるような心から全てを楽しもう、という感じになることがわかりました。

エゴは、心の中で大声で叫んだり暴言吐いたり脅してくるエゴも(^^;)、無視もせずじーっと眺めて、そういうエゴが自分の中にいるんだなと自覚するのが大事で、エゴではなく、自覚している部分が本当の自分であることを理解して、必要がなければ宇宙やガイドや神様に手放しをお願いしてもいいと思います。
昨日の日食新月のエネルギーもまだあると思いますしかなり強力だと思いますので、自分の中に必要の無い自分を苦しめているエゴを発見したら、手放しをお願いする絶好のチャンスだと思います。


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