この一ヶ月、自分の完璧にしようとするビジョンや思考に気づいて、完璧をやめようとしたら解決した、楽になったという問題が続出でした(笑)。
昨日から、何で今更この怒りが、、、という感情が思い出され現れてきてどうしたものかと宇宙に手放しをお願いしたら、その後、相手に完璧を求めていたから、そうしてもらえなかった過去が許せなかったんだな〜、ということがわかり、自分もそうだけど、相手も完璧じゃないんだ、ということを受け入れると、ああそうか、まあいっか、と楽になりました。
完璧を求める相手ですが、自分に近しい人(親、自分より年上の家族、パートナー、仲の良い友人など)や尊敬する(したい)人(自分のなりたい職業や技術を持っている人、先輩、上司など)が多いと思います。自分の「そうあってほしい」を無意識のうちに相手に描いてしまうのだと思います。どれだけ素晴らしいと思う人にも、一つや二つ、見えなくても知らなくても欠点くらいある、と思っておいた方が柔軟ですし、相手に「完璧」を求めることは、「完璧」だと思うことは、相手にとってもプレッシャーで重たいし、支配とコントロールに繋がったりします(自分はこう在らなければならないんだ、みたいな気持ちにさせてしまう)。
でも、自分がそうであるように、「完璧」はないのだと思います。自分にできないのに人に求めるのも、どうかと思いました。
それに、どんだけ怒っても恨んでも(^^;)、相手は変えられませんしね。変えられるのは自分の見方、やり方、考え方だということを知り、自分を変えようとする努力と宇宙や他の人の情報やいろんな存在のサポートのお陰でそれが可能になる、そのお陰で軽く楽になれることを知っていることは豊かなことだと思います。
必ず道はある。それを発見・突破するために困難はやってきているだけ、魂の成長のために必要な経験がやってきているだけ、より幸せになるための選択をするために、と信じています。
苦しい時も、もがきながらでも、きっとより良い楽で自由で幸せになれる道があるに違いないと、いつも諦めず希望を抱き続けて行きたいと思います。
ええと、どんな人も、どんなに素晴らしく見える人も、そうあってほしいと思う人がそうでなくてがっかりきたり怒ったり残念だと思ったりする人も、一度、「完璧な人はいないんだ」というところに立ち返ると、解決したりするので、そこでハマっている時は思い出してみてください。人のせいにして苦しいところから、一歩違う方向に進めるかもしれません。
ちなみに私は明日から二日間のお弁当作りにプレッシャーを感じて消耗していましたが、キャラ弁みたいなの作らんといかんのかなー、キャラ弁にチャレンジしないことは逃げなのか?と、子供が別に望んでもいない完璧を自分に課していたことに気づいて、手放すことにしました(^^;)。