光な人に、アクセスしようとするだけで、もしくはアクセス
すると、直接コンタクトをとる前に受け取る何か(気づき、等)が
多いように思います。
そんな中、神聖さの中にある厳しさ、について感じました。
これまで、自分に厳しい、ということを指摘されたり、
同じくらい批判的だった所を以前顧みることがあり、
「ゆるし」の感覚を再確認していた時期がありましたが、
神聖な中には、「厳しさ」が備わっていることを、
ながーい間忘れていたようで、思い出しました。
そして、厳しさがあるが故にグラウンディングできる、と
いうことも何となく感じています。
優しさも、厳しさも、ゆるすことも、単体それだけでは
なくって、すべてが包括的かつ奥深くなっていくように
すすんでいくのだなあ、と改めて感じています。
人間、忙しいなあ、と思います。