人は愛されたいと思う側面を持つ生き物だと思いますが、
不思議なことに、自分を差し置いて全てのベクトルを
向けられると嬉しくないものです(笑)。
エネルギーの高い人ほど、そうされてしまう経験が
多いと思います。
無意識ではあるけれど、高いエネルギーに惹きつけられる
からです。
本人は愛を注いでいるつもりかもしれませんが、
受ける側は重たく、敬遠したくなるものです。
大げさに言うと、監視されているような感じだったり
自由に動けないよう無言の圧力を感じたりすることも
あります。
愛のつもりが独占欲だったり支配だったり、愛している
つもりが見返りの愛を求めていたり、裏はそんな感じだと
思います。
人に執着する、というのはそういうことではないかと
思います。
夫婦でも親子でも友人でもそうですが、力を注ぐべき根幹は、
「自分」であるはずだと思います。だから対等でいられる。
自分があって、自分の意見があって、自分で見つけた楽しさや
好きなことがあってそれがその人の魅力につながり、
そこから発信される愛だから嬉しく感じるものだったり
するのだと思います。
自分なんてつまらない、淋しいから愛を注げる誰かを探す、の
ではなく、今こそ本気で自分が楽しいこと、素敵と思うことを
探す時なのではないかと思います。
「自分」が無いと、つまらないんだなあと、最近気がつきました。