正直にいることが世界を変えていく

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長い間、心の中に誰かや何かに対する批判や傷を受けた事を抱えて
いると、それをきっかけに自分のフィルターがそういう色になります。
つまり、世の中をそういった批判や傷がある心を基準にして
物事を見るようになってしまいます。
私はそのことに気づいて、スッキリしない自分を何とか手放そうと
してきました。
方法として、自分を客観的に見るようにしました。それが他人から見て、
きちんとできているかはどうでもよくて、自分の中で、自分を卑下もせず、
かばいもせず、自分の感情を受け入れて、何でそうなっているか
何が自分の中で気になっていたか、本当は何を望んでいたか、
他人を見るように精査していく。すると、本当は自分が何を
望んでいたか、それがエゴか逃げか等見えてくるようになってきます。
そうやって分析してわかってくると、次にどのように動いたらいいか、
自分はどうありたいか考えられるようになります。

私は数年前、色々な辛いことが一気にやってきて、同時に生活
環境も変わり、何から手をつけていいかわかりませんでした。
だから、時間が解決するだろう、と思って放置していました。
だけど、時間は解決してくれませんでした。自分の心と向き合って
すっきりするよう動くまでは。すっきりしないことを引き金に、
知らないうちにトラウマを生んでいたり、変な思考回路に
なっていたり、今思えば、変だな、辛いな、と思うことは
できる限り早く、勇気を出して解決に向かうようにすることが
大事だと思いました。 私はこのことをきっかけに、
自分に正直に生きることの大切さを知りました。
それまでは、波風立たない平和が一番、だと思っていたので、
少々自分が我慢できることであれば流そう、そう思って
実際そうして生きていました。でも、それが結果禍して、辛いこと
としてやってきました。振り返れば、何度も同じような目に会いましたが、
それは私に「正直に生きる」ということを気づかせるための経験だったのだと
思います。それから、自分を尊重する、ということも。
自分の意見を、長いものに巻かれて流そうとしたりすることは、
自分の存在を消してしまうことと同じかもしれません。
目立ちたくなかったり、衝突が面倒くさい人は、「平和主義」という
看板を掲げて自分がそう思っていなくても流されてしまおうと
しがちですが、宇宙はそれを認めてくれないんですね。
正直に生きることは、言いにくいことも言っていかなければ
ならないこともあります。でも、だからこそ、周りにも
影響を与え(巻かれたイエスマンだと影響は与えません)る
ことができるのだと思います。
自分の弱いところ、克服すべきところに試練はやってきます。
だって、そこが弱くないポイントの人にとっては試練でも何でも
ないから。だから、辛いことや苦しいことがあっても、必ず乗り越えられる
事しか起こらないと言われるし、今はわからなくても後で経験として
わかる自分の学びがあると思うのです。それを学んだ後、きっと愛を
感じられる時が来ると思うのです。
そういうこと全部ひっくるめて、本当に平等にできているのだと思います、
宇宙は。

現世だけを見ていては、不平等と思うことは当然だと思います。
だけど、魂の経験値やそれぞれに違う課題があることを考えると、
本当に皆平等なのだと最近わかりました。平等に良いこと悪いことが
起こる、のではなく、平等に愛が注がれている、ということです。

私は、人の事を完全に嫌いになれません。もちろん、嫌だな、とか苦手だな
とかあんまり好きじゃないと思うことは沢山あります。
だけど、完全に人を恨んだり嫌いになろうとすると自分でも面倒臭いですが、
心が痛むのです。
人の事を嫌いといったり批判したりする人は、心が痛くならないんだろ
うか、と思います。すっきりと「嫌いだ」と思えたらどんなに楽だろうと
思いますが、口に出して「嫌いだ」と言ってみると、これまた面倒臭いですが、
やっぱり痛みを覚えるのです。
辛い風当たりや嫌だな、と思うことをされても、反面本当に感謝しても足りない
くらいお世話になっていたら、益々一概に嫌い、とか非難とかできません。

でも、たくさん考えて、自分の直感とも確認しながらようやっと、
魂の経験値やそれぞれの課題が違うからどんなに誠意を持って接しても
今のタイミングでは理解してもらえないこともある、ということが
わかりました。
人は完全ではないし、経験していないことは理解できない、ということ
も多分にしてあると思います。もちろん私にもですが、だからこそ
自分は経験していないけれど相手の状況を想像して思いやったり、
「そういうこともあるのね」と一々ジャッジしないで聞く
寛容さや手放しも必要なのではないでしょうか。

だから、自分なりに精一杯できる努力をしても伝わらなかった場合、
今は理解してもらえなくても、今世を超えてでもいつか理解して
もらえる日が来る、と相手を信じることにしました。
理解してもらうのは自分の事では無くて、相手がだれであれ、
同じような状況、ということです。
いつか理解される(し合える)日が来る、と信じて宇宙に任せることは、
心に安心と希望を生みました。今まで忘れていた安心感で、
心の状態がプラスだと原動力が湧いてきます。心を良い状態に
保つことは大切なことです。

それから、「どんな人にも良いところも悪いところもある」、
ということを理解している、ということは、世の中の人を偏見なく
見ることができるツールであり、自分の感覚を信じるということでも
大切な概念だと思いました。自分の理想を、他人に押し付けない、
他人に期待しない、という意味でも大事だと思います。


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