身につけるものの影響

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昨日、朝起きると、私は身につけるものによって自分の
気分がかなり左右されてきた、ということを気づいたら
考えていました。

先日、自分の感じるままに生きた時代と、他人を意識して生きた
時代について書きましたが、着るものも同じように、自分の
心が解放出来るものを選んでいた時と、目立たないように周りに
合わせたものを選択した時代とよく対応していました。

自分のフィーリングが心から気に入ったものを身につけていた時、
心が解放されていた、ということを思い出し、そういう自分を
受け入れて、身につけるものを大事にしていこうかなと、
思いました。贅沢だから、、と思っていた時もあり、買い物を
することに罪悪感を感じていたこともあり、自分のフィーリングは
無視して、安価なもの、質素に、みたいな刷り込みで生きていた
こともあったし、周りと同じような格好、少しでも自分の服装が
目立つのが嫌(誰もそんなに注目していないと思うのですが、、)と
まあ、面倒くさい色んな思いに駆られてそうしていた時は、
今思えば全然満たされていない、逆にみじめに感じる自分が
いたように思います。
自分の感性を活かしていないと、そんな風になってしまうのかも
しれないですね。感性はそのままに、無いものを想像して喜びを
創造した「赤毛のアン」と、感性も消して違うものに同化しようと
するのは、全然違うことであり、全く逆の結果を生むのだなあ、と
思いました。

自分にお金が使えない時もあると思います。でも、そんな時でも、
金額ではなくて、少しでも自分のフィーリングにあうもの、もしくは
合うまでは買わない、くらいの潔さを持ってもある意味節約には
なるし、できるだけ自分が心地いいもの(私にとっては自分が
解放できるもの)や1つでも洋服でなく石でもアクセサリーでも、
大切にしたいものを身につけて行こうと思いました。
自分が気に入ったものであれば、大切にする自分も思い出しました。
贅沢と思われても、どうしても身につけるものに影響を受けてしまう
自分を受け入れることにしました。そうではない自分にはなれない
こともわかったので、受け入れて調整していこうと思いました。
身につけるものへの愛情・愛着は、私にとっては栄養みたいなものかも
しれないと思いました。愛着が栄養となって返ってくる、ということが
無意識のうちに行われているのかもしれません。

そして、会社を辞めて初めて「身につけるものがほしい!」と思った
ことに「これは転機かも」と思い、働いていない罪悪感を持たない
ようにして買い物に行きました。
表参道に行こうという頭でなく、表参道は違う・代官山という直感に従い、
普段行こうとも思わなかった代官山に少しの勇気を持って行ったら、
素敵な洋服+α、思いもよらなかったもの達までゲットできました!
店員さんともフィーリングがあったようで、買い物自体がとても楽し
かったです。
また、渋谷から代官山まで歩きましたが、閑静な住宅街の中にある
小さなお店もぽつぽつある風景、素敵な東京のお散歩も楽しみました。
こういう時、直感に従って良かった~、と思います。


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