植物や動物とコミュニケーションをとるということは、
嘘が無い世界なんだと思います。目に見えないものや
言葉が通じないものとコミュニケーションをとったり、
サイキックの人が何か視えるのも、嘘が無い世界に
なると思います。視えるから嘘のつきようがありません。
興味があるのに、占い師さんやサイキックの方、神社の
神様など、少し前まで恐いと感じていました。
「こんな風に思われたらどうしよう、とか、ろくでもない
自分が見られてしまう。。。」と(笑)。
でも、宇宙や神様は既にお見通しだし、良いも悪いも
恥ずかしいも、ないのだといつしか気づきました。
あるのは自ら出したものは、自らに返ってくるということ
だと思います。間違って、或いは故意にでも、(倫理的に
でも)良くないと思うことをした場合、「同じことが返って
くる」と思う人もいるかもしれないけれど、「同じ」よう
には一概に返ってこないのではないか、と思います。
反省して同じような気持ちを感じたりすることも、「返って」
くることだと思います。私は少々長い間、自分がしたことが
自分に返ってくると怯えていた(笑)時期がありました。
もしかしたらそのまんま返ってくるかもしれませんが、
怯えも合わせ、かなり後悔と苦しみの経験をしました。
そういうことをひっくるめて、宇宙は見ているし既に知って
いるのだと思います。そう気付いた時、宇宙や神様の前で
媚を売っても良い格好しようとしても仕方がないのだと
思うようになりました。すべては経験で、どんな経験も
経験として与えられている許しと豊かさ(そこから学ぶこと)
があるのだなあと今では思います。だから宇宙や神様は
人が人を責めるように、責めたりはしないと感じます。
ただ、その人に必要な経験を与えられるだけ、なんじゃない
かと思います。「ネガティブなことも豊かさだ」とウイリアム・
レーネンさんの本に書かれてありました。今では納得です。
目に見えないことはわからない(と思うことも含め)人が
大半の世の中で、それが通常とされている世の中で、たまたま
何でも視えてしまう、感じてしまう人は大変だなあと思います。
だけど、スピリチュアルに興味があったりわかるようになったり
するということは、結果そうなっても大丈夫な自分になる、という
ことがその先にあると思います。元々ワンネスであり一つの光で
あれば、おそらくそれは嘘の無い世界なんだと思います。
それに帰って行くのであれば、まあ、自然な流れのような気も
しますが。
それには、自分への信頼や心をクリアにすること等たくさんの
鍛錬や経験が必要になってくるかもしれません。
しかし、私はそれを目指してしまうのです(笑)。