枠をはずす

| 0 comments


「枠をはずせ」と2~3週間くらい前から言われて
いました。初めは何の事だか分らなかったのですが、
(なので宇宙にわかるように教えてほしいと投げました)
そうこうするうち、枠が無い人に立て続けに出会う
機会がありました。

常識とか一般的な考えとかが、いつも何かをする時に
自分の中に出てきます。そこには偏見も含まれて
います。自分の中に出てくるので、自分の中に
そういった見方をする部分もあるのかもしれないし、
集団意識を拾ってきているのかもしれなくて、
どちらか迷った時期がありましたが、自分の中に
出てくるのだから結局は自分がその意識、要るか
要らないかで判断すればいいのだと思いました。

そして、いつも魂が望んでいる事の選択をする時、
壁となってやってきます(笑)。
要は人の目を気にする、ということです。

枠が無い人たちと話をしていると、枠を捨てるに
至るに、葛藤されたこともあると聞きました。
現在の枠をとっぱらって伸び伸び自分を
表現されている姿には、勇気をもらいます。

「言葉やイメージが降りてくる」というと、特別で
神秘的に感じる人もいるかもしれませんが、直感は
誰にでもあるし、これも「降りてくる」というのと
同じだと思うのです。
降りてきた言葉を歌や音楽にして表現している人に
出会いました。また、それを文字や何語でもない言葉で
表現して降りてきたものを伝える人にも。

「降りてきたものを伝えています」そうさらっと言える
人達に出会い、ああ、そういう風に表現するのが
ぴったりだし、さらっと言えていることが素敵だなあと
思いました。そして、そう表現してもきちんと受け入れ
られていました。
そんな場面に出くわし、世の中も随分変わってきている
のだなあ、と思うと同時に、自分の中の古い偏見(偏見の
目で見られる恐さ含む)を突き付けられ、もう捨てても
いいのかもしれない、と思いました。

集団意識を見れることも必要だと思うし、バランスを
取るためには私はすべて手放す必要がないと思っています
が、それでがんじがらめになることもないと思うのです。

目に見えない世界を知ることは、それまであった目に
見える世界や価値観にプラスしてもう一つの世界が加わる、
つまり広がる、ということです。
だから私は広がった分忙しく感じるし、アンバランスな時も
ありますが、目に見えない世界がどんなにワクワクしても
追求するのが楽しくても、偏りたくないなー、と思って
います。

どっちもできてこそ、を目指したいな~、と思っています。


コメントを残す

Required fields are marked *.


Top