刷り込みや、同じ場所に長くいたり、自分が上の
立場になったり何か得たりすると、人は傲慢になり
やすいのかもしれません。「傲慢」というワナに
ひっかかりやすいのかもしれません。
自分が頑張ったから、自分がすごいから、、、
いつの間にか謙虚に頑張ってきた自分から傲慢な
自分へすり替わっていること、誰にでもあるのでは
ないかと思います。
気がついたら、その傲慢の物差しで人を見て判断したり
人の話しを聞いたり、傲慢のフィルターでもって色々
分析したり答えを出したりしています。
だから頭の中はぐるぐると自分の思考が渦巻いて
いたりします。
だから実は本人が苦しいんだけど、自分が上だと思って
いるからそのことに中々気がつけない。
でも、その物差しではかられた側の人って、キャッチする
ものなんですよね。。何だかあの人上からな感じがする、
とか話しかけにくい、とか面倒くさそうとか
こわそうとか(;;)
でも逆に、相手の魅力を探したり、まだ知らない(興味
ある)と思って接しているとそれも潜在的に伝わるんですね。
つまり、こちらが心を開いて(相手に対して無になる=
思い込まない、フィルターを入れないで)いると、相手にも
それが伝わりますから心を開いてくれやすいと思います。
「他の人は必ず自分より優れたところがある」と、中学生
くらいだったでしょうか、誰かに聞いたことがありました。
こう書くと、優越の問題を持ってこられる方がいるかもしれ
ませんが、そうではなく、あの言葉は、それくらい謙虚に
生きろ、という意味だったのだと思います。
その言葉を、久々に思い出しました。
人と接する時、何かのフィルターで見ていたら、それが
よくても悪くても後から大抵トラブル(真実をみせられることに
つながりますが)が起きるか上手くいかないと経験してきました。
みえたり感じたり出来る人は特に、だと思いますが、
それがすべてではないこと、それ以外にも知らないことが
たくさんある、というより知らないことの方が多い、みえる
部分は一部分、と思っておいた方がいいと思います。
また、みえるとか感じるとか関係なく、刷り込みや経験で
厭世的になったり人を判断したり(もちろん、無理に自分と
合わない感じを受け入れたり向かっていく必要もないと
思いますが)ばかりしていると、つまらなくなってくると
思うのです。
世の中は、知らないことだらけです。
多分興味がないだけで、知らないことだらけです。
興味が無いことに無理に興味を持とうとすることもないけ
れど、「知らないことだらけ」ということを知っている
だけで、新しい発見がどんどん入ってきます。
「結構知っててこれ以上必要ない、自分が一番」と思うと、
もうそれ以上入ってこないから、自分の中でぐるぐる回って
結局自己賞賛で完結します。
一見、自己賞賛だから満足出来て楽しそうですが、
多分、世の中が面白くなくなります。
長く生きてもたった100年近いだけの自分の人生で、
どれだけのことを知れるでしょうか。
まだまだ知らないことだらけだ、と思うと、フィルターも
消えるし、世の中も、人を見る目も全然変わってきて、
ワクワクしてくるなあと思いました。