身体全体でゆったり生きる

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虹を見た翌朝目覚めた瞬間、体で感じることと
それが第一チャクラでわかったという体験をしました。

そして、どうしてこれまで体の声を聞いてこなかったん
だろう、と思いました。いや、正確には、いつからか
聞かなくなったのです。紐解けば、おそらく、音楽を
頭で理解しようとし始めた中学生くらいの時からか。。。

体の声を聞く、というのは、痛い、とか苦しい、とか
病気系のことだけではなく、例えば、歌を覚える時とか、
体全体で覚えませんか?頭だけでは覚えきらないのです。
大人になるにつれ、頭でっかちになるのか、エゴが優勢して
くるせいか、その「自然体」を忘れてしまいがちになり
ます。大人になって物覚えが悪いのは退化しているせいに
されていますが、もしかしたら、自然体から離れて
いっていることも関係しているのではないかと思います。
物や人を見る時、自然の中にいて自然を感じようと
する時、大人になってからは、「頭」で見ようとします。
それが、なんか違うと思って、私はお腹やハートで見たり
聞いたりすることが真実だとわかってそうしてきましたが、
それはもちろんそうなのですが、もっとゆったり、足の先
まで体の全体で感じれば、無理なく落ち着いてわかること、
受け止められることがわかりました。
つまり、「自然体」って足の先までゆったり色々なものに
対して開けている状態、なのだと思ったのです。

頭のてっぺんから足の先まで、人間の動作の器官として
だけでなく、体は自分の魂やエーテル体(?)、オーラと
重なる部分も全部自分で現世に生きているからこそ、
チャクラなどの物理的な位置を体と重ね合わせているの
かなあと思います。例えば英単語をお腹や身体の前面で
覚えたり(物理的な位置的に脳ではなく)。
スピリチュアルをやっている人に多いと思うのですが、
どうしても、「頭」に意識が行きがちで、「頭」が重要で、
「グラウンディングがどうして必要なんですか?」という
人もいるのですが、人として生きていることもすべて
スピリチュアルで神聖なことであり、身体は同等に神聖です。
頭だけでは、光を見ようとした時、蜘蛛の糸のような細く
頼りないものをつてに見ていかなくてはなりませんが、
足先まで身体全体を使って見たり感じたり聞いたりする
ことは、ゆったりとしっかりとグラウンディングして
たくさんの情報を得たり交換したりすることができると
感じました。
センスのある人は、無意識にこれ(身体で感じたり覚えたり
考えたり)を行なっていると思います。
頭でっかちにならないので、自然体なのです。

そして、エネルギー交換は、言葉以上のものが行われる
ことを体感しました。
自然に話しかけてください、と言ってきましたし、自分でも
そうしてきましたが、自分の器官が足先(毛孔まで 笑)開くと、
そこに佇むだけで、感じるだけでエネルギー交換されて
いることを感じました。
あ、感じられなくても、交換は行われていると思いますが。
感じることができると、私は楽しいです。

言葉で書くとこんな感じですが、それを一瞬にして体感した
経験でした。わかる、というのは頭や言葉の理解を超えて
います。

虹を見た時、夕暮れ時で空が赤い中見たので、「赤い虹
だなあ〜」と思っていたのですが、赤は第一チャクラの
色です。
このサインだったのかなあ、と後から思いました。

それから、また全然違う話ですが、ヒーリングや
クリアリングも、自分ではどうしてもできないところが
あったりエネルギーが通らなかったりすることがあります。
私の場合は全部自分でなんとかできる自分を見たいという
エゴが隠れていました(笑)。だから、宇宙にお返しです(笑)。
できないこともあるということ、自分で頑張ってもできない
部分があるところは、祈って宇宙に任せたりできる誰かに
任せる、ということ。
人の可能性は無限大だと思っています。
だけど、自分以外のすべての人や存在のおかげで自分が
あるということを、改めて思い知らされました。


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