心の中での批判も含め、人の悪口や陰口を言っている
ようでは、決して幸せにはなれないよなあ、、と
先日思いました。
心をきれいにしなさい
神社に行って、よく言われたことでした。
心をきれいに、ってどういうことだろう、、なんて
考えたりしていましたが、そんなに深く考えなくても、
要するに上記のようなことだと今更改めてわかりました。
先日東京に行き、3年半ぶりに明治神宮を訪れました。
明治神宮のおみくじは吉凶を占うものでは無く、
大御心というお言葉を頂くものですが、
現代語訳は、「空高く昇っていく朝日のように、いつも
すがすがしく、明るくさわやかな心を持ちたいものです。」
と書かれてありました。
さらに説明の最後に、「毎朝神様を拝むことも、いつも
御神徳を仰いで清々しい心で、1日を幸せにはたらくため
です。」とありました。
これを考えた時、心の中の批判はありえないなあ、と
いうことと、自分にとっては直感に従うことが無になること
であるのですが、直感に従う事は御神徳を仰いで幸せに
生きることと同じだったのだと理解しました。
さて、自分探しをしている人、続けている人もいるかも
しれませんが、私も20代半ばから自分を感じることを
意識的、無意識的に行ってきました。
そして、やっとわかったことがありました。
感情的に自分が感じる事、瞬間瞬間で感じる事、が
自分だと思っていたのですが、その奥に魂があること。
魂の方で、瞬間瞬間に感じた事に対して、冷静に判断
して対処法や理性的な判断や方法を提示してくること。
つまり、魂が、受け止める感情をきちんと統制できること。
これを全部含めて自分なのだということに気がつきました。
今更ですが、気づけて嬉しかったです(^^)。
そして、その統制能力が大事ということ。
つまり、感情の部分はエゴだけれど、エゴに負けた行動を
とるか、魂の自分で動けるか、ということ。
いつも引きで俯瞰ででも本気で(きれいにいるように)
自分をみつめていないと、できないことかもしれません。
いつでも魂の自分でいたい、と思う。
それは、愛だから。それが楽だからです。
(そうなるまでが、大変だったりしますが 笑)
誰にでもある魂の神性(エゴの統制能力)を、
自分には無いんじゃないか、などと疑わないことはとても
大事です。
自分の神性を疑うことをやめると、真にリラックス
できてさらに輝くのだと思います。