今年は庭に水仙が咲いたので近づいてみると、そのふもとにあった花にびっくり。
紫の花が咲いてる!と息子に言ったら、「ジュリアンって言うんだよ。幼稚園の先生に
教えてもらった。」と言ってました!
3月後半から日々、起きる度に、これからどう生きたいか、どう在りたいか、明確になっていきました。
個人的には、人として素敵かどうか、が一番大切なことだと気がついたり(^-^)。
人は時として、能力や世間的な評価に溺れがちだったりするし、とりわけスピリチュアルの分野においては「人として」をおいてけぼりで脱落していく場合も多いのかなと、自分も数々の失敗を繰り返し思います。
どんな分野もそうですが、「能力」に重きを置くと、「人として」が見えなくなりがちです。
不思議なのが、「人として」を意識した価値観を持つと、自然と落ち着きグラウンディングして理性的になり境界線も出来てきます。「人として」素敵な日常や日々の時間を大切にしようとすると、今に集中し、今をじっくり感じ味わおうとします。
自分が素敵かどうかは自分ではわからないけれど、素敵ではないと思う振る舞いはしなくなるし、しないように努めるようになります。
ゆったりと客観的になります。
「人として」その心の中はどうですか? 目に見えない心の中に「人として」を向けることが大事だと思います。
自分の心の中を客観的に見ようとすることは、潜在意識を見る訓練にもなると思います。
また、「人として」素敵か、素敵な時間を過ごしているか、は、自分以外の人に向けるものでなく、自分に向けるものです。
実践しようとすると、はっきり言って難しかったりします(^^)。そうはいってもねー、というときもあるし、
体調やいろんな要因で自分の中の闇に負けそうな時や、色んな状況があります。
でもそれでも、自身の中の理想(他人ではなく自分の在り方に向けるもの)に向かおうとすることは、やはり大事
だと思うし、何度転んでも立ち向かうべき(と言い切ってしまいますが)だと思います。
だって、きっとそうやって磨いていくものだと思うし、それ自体が生きることだったりすると思うし、実は結果
真理に近づくことだと思っています。
このコロナ蔓延でストレスがたまる中、いつまでも大人がいじけたりイラついているのもみっともないなあと、
子供を見ていて思います。子供はどんな状況でも、その場で楽しめることにすぐに切り替えて新しい遊びを発見している
のですごいなあと思います。
自分の脳みそや手足を、素敵なものを創造するためだけに使いたいなあと、改めて思っています。
「人として」自分が他人にどうこう言えるようなものではありませんが、でも敢えて書いてみました。
また、このコロナで外出も買い物も制限されていますが、暮らしを整えるいいチャンスかもしれないね〜、
とも思っています(^^)。