わたしはすばらしい、あなたもすばらしい

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デトックス時期だというのに、自らの体重は上昇中(^^;)。先日大台を超えていたのでびっくりしました!近所の方に頂いたコストコのマフィンが美味しすぎて食べ過ぎてましたー(⬅︎人のせいにしてます うふふ笑)。

4月下旬から、ここにきて、自分の土台がやっと明確になってきたなー、そもそも土台とは何か、みたいなのが明確になってきました。それは、物理的なものではなく私にとっては内面的なものでした。

そうしているうちに気づいたのは、「自己肯定が無いともしくは低いと、人は落ち着かない」ということでした。

自己肯定感が低い人にとっては、低いことで落ち着きを得ているように思っている人もいるかもしれませんが、無意識のうちに自分に向ける非難や責めで心がギスギスずたずた傷つき、そのうち嫉妬が増したり、優越感でバランスをとろうとしたりして結局落ち込む、といったパターンをグルグルしていたりします。
そして、どんなに誰かがあなたのことを素敵だ、素晴らしいと言ったとしても受け入れられないものです(^^;)

自己肯定感を上げようと思って、自分の良いところを見つけようとしたり人が言ってくれることを受け入れようとしても中々そうは思えない、のは、無意識で他人と比べてしまうからなんじゃないかと思いました。

自分の良いところを見つけても、他の人はあんなこともこんなこともできるし、、とか。
たとえ誰かに肯定的なことを言ってもらったとしても、相手の方が、他の人の方がもっとすばらしいし素敵だし、そんな人はたくさんいる、、とか。でもこの裏に、肯定的なことを受け入れられないのは「自分だけがすばらしい」と無意識で書き換えしているからだと思うのです。遠慮がちな人は、また自己肯定感が低いと中々人からの肯定的な言葉は受け入れられないか、いきなり優越感になってしまうか、、、だったりしませんでしょうか?

では、
「わたしはすばらしい、あなたもすばらしい」
と心の中で言ってみたらどうでしょうか?

もし胸のあたりに豊かで素晴らしい、幸福感や喜びのようなものが広がったとしたら、「わたしはすばらしい」を受け入れられたことになり、自己肯定感も上がりました。
自分だけではなく、他人もすばらしいわけだから、安心して自己肯定できませんか?
それに、「わたしはすばらしい、あなたもすばらしい」は事実だと思うのです。

子供の頃から見ていたヨガの本に「私は美しい、他の人もまた美しい」(ただしヒロイックにならないでくださいね)、と書かれていたことをふと思い出して繋がりました。(出典:「美容ヨガ」 著 羽成孝 日東書院)

「わたしはすばらしい、あなたもすばらしい」で楽さを感じたら、素直に受け入れてみてください。それが「感覚で理解する」ということでもあります。

他人はすばらしいけど自分はすばらしくない、とか理屈っぽく考えようとしないでくださいね(笑)。
激しい後悔をしている時などは、自分のことをとても素晴らしいなんて思えないかもしれません。でも、後悔があるということは良心があるということ、それもすばらしいですが、人として懸命に生きようとしていること、だからやっぱりすばらしいわけです。自分が感覚的に「良くない」と思っていることをすると、本来の自分とギャップができて自分を疑うようになったり自分への信頼を失ってしまいやすくなります。もちろん自信も。だけどその経験があるならば、もうそうしないようにすればいいだけ。そして自分の過去を許し、自分への疑いや不安(また流されたり良くないことをしてしまうのでは、とか)も見つけたら細めに手放してください。

「わたしはすばらしい、あたなもすばらしい」を呪文のように(笑)何度もいつでも心で唱えてみることは、自己肯定感を上げる方法の一つだと思いました。

良い人になろうとする必要はないです。

「内面的に満たされることが大事」と、今日車を運転していて思いました。


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