昨夜から、バタバタ音がするなあ、と思っていたら、朝起きたら蝉が止まっていて音の正体がわかりました。
夏も終わって連日雨だしかなり涼しくなってきていたので、驚きました。
彼(彼女?)は、窓を開けたわけでもないけれど先ほど羽ばたいて行きました。
長かったトンネルをやっと抜けました。
過去が終わり、やっと始まる感じです。やっと始まることを自分にゆるした、という方が正しいかもしれません。
目の前に幸せがあっても、厳しすぎる自分がいたら、受け取ることや感じることを禁じ、幸せになることも禁じてしまいます。
結構キツイ中で生きていて、突然現れた目の前の幸せを、受け取る資格がないと思った自分、手のひら返したように切り替えられなかった自分はそんなに嫌いじゃない。長く勝手に苦しんだけど、そして自己卑下のおかげで迷惑をかけたかもしれないし無駄な時間も過ごしたのかもしれないけれど、きちんと一つ一つ理解してそれでも諦めずになんとか上げていこうとした自分をむしろ信頼できる。
あらゆる感情や気持ちをゆるすことで、やっと自分が見えてくる。
自分の欲するものや、何に不足感を感じているのか、など。
そんな自分ではいけない、と自分に言うのをやめて、それもいいんだよ、と言ってあげて一度ゆるしてみる。
そこに、法律などないのだから。勇気を持ってゆるしてみて初めて得られる境地がある。
わがままでも、多少、いえかなりナルシスティックでも、とにかく全部ゆるしてみる。
ナルシスティックだなあと思い見つめる自分。こちらの方を変容しなくてもいいのだろうか?
自分を見つめる自分を改革していくことが、本当の意味で自分を変えること、なのだと気がつきました。
魂が全て正しいわけではない。正しいという概念も違うかもしれないけれど、魂は成長したいのだから。そのためにやってきたのだから。