スポーツ観戦や何かで、応援をしたりしている人を
たくさん見ながら、私は密かに、「応援したって
結果は実力の差だよね。。。」とずっと思っていました。
応援のエネルギーがあることなんて、思いもよらなかった
のですが、昨年話しをしていてそのことに触れられて、
それから「そうなのかなあ、、?」と疑問に思いつつ
いました。
でも、確かに、自分が何かをしようとする時、それを
知ってくれている心優しい人々がありがたくも何人か
いてくれて、心で応援してくれる気持が、エネルギーと
なって流れてくるのを感じていました。
私はそれを、「申し訳ないなあ」と思いつつも受け取り、
いつもことなきを得たり上手く流れに乗れたりしていた
と思うのですが、ある時、「いや、これは私だけの
エネルギーで行うべきことでいつまでも助けてもらっては
いけないんじゃないか」と思って、その感じるエネルギーを
「今回は結構です」と受け取らないでみたところ、
まあ、結果は自分の希望したものは得たけれど、なんだか
淋しく感じるものが残りました。
このことについて、特に意識して考えていたわけではない
けれど、また同じ経験がやってきた時、気がつきました。
これまで何度か、植物が人に純粋に一生懸命エネルギーを
送っているのを見せてもらったことがあります。
また、人の家にあったうさぎの置物も、「○○ちゃん(家の
主)を守っているの」と教えてくれたり、その隣にいた
鉢植えの葉っぱが「私も」と教えてくれたりしているうちに、
あー、そうだった、なんか皆純粋に(エネルギーを送る)
仕事をしているということを思い出し、
人のガイドさんも、本人にものすごくまっすぐエネルギーを
送っているのを何度も見ました。
本当に、その人しか見てないんですよ。「邪魔しないで」と
言わんばかり、一生懸命エネルギー送られてます。
人は、そんなこと思いもよらないし考えたこともない
けれど、あなたが大切にすればする程、植物も動物も
物も土地も家も、エネルギーを送ってくれると思います。
それはあなたがほしい形ではないかもしれないけれど、
一生懸命あなたの力になろうとしています。
私が気がついたのは、結局応援のエネルギーと同じだと
いうことです。
それがわかった時、何一つ、自分だけで行われていること
なんて、多分無いんだ、と思いました。自分から出そうとする
頑張りを誰かや何かやスピリットも見ていて、応援して
くれていて、その力もあって何かができる、成し遂げられる
ということじゃないかと、腑に落ちました。
そして、一人で生きている、なんてことはないのだと、いつも
誰かや何かの力に助けてもらっているのだと感じました。
もちろん、その力を得るのは本人の頑張りと努力ですが。
先日、同じ経験がやってきた時、応援してくださる方の
エネルギー、純粋なエネルギー、必要なエネルギーはありがたく
受け取ろうと思いました。
そうしたら、やっぱり結果が変わりました。
それに、普通に考えて、自分が誰かや何かを応援していても、
折角エネルギーを送っても、受け取ってもらえなかったら
悲しいと思うし、受け取ってもらえることを前提に応援したり
送るのもエゴですが、それでも喜んで受け取ってもらえたら
やっぱり嬉しい。それは、人間に限らず同じなんだと思います。
自分がこれまで受け取りベタであったことがよくわかった経験
でした(笑)。
受け取り上手になりたいと思っていたので、一つまた前に
進めたかな、と思っています(笑)。
あ、だから誰かを応援する気持、って、目には見えなくても、
思う形にならなくても、届いているかわからなくても、
心に思うだけでもきちんとエネルギーになっているのだと
思いますよ〜☆