何者でもない自分に戻った時、とても楽でほっとします。
3月の終わり、用事で実家に帰った後にそのことに気がつき
ました。
何者かになりたいと思うから、苦しかったり辛かったり
するんだなあと。そしてそれは本人にとって無理があって
不自然なものではなかろうか、と。
何者かになりたい、、、例えば、好かれたい、認められたい、
この職業でないとだめだ、すごくないといけない、つまり、
何者かになりたい、というのは、自分がすごくないといけない、
という思い込みが伴っているように思います。
何かを得たくて高い目標を自分に課すことも必要な時もあり
ますが、楽しさが消えるくらい結構苦しいのにそれを得ようと
して頑張っていた自分に気がつきました。プレッシャーの
方が大きくて、ずっと楽しめないなあ、というのは何となく
感じていたのですが、私は何になりたかったのだろう、と
そうして、その目標が達成出来たからといって、プレッシャー
から逃れることができないだろうとも薄々感じていました。
元々好きなことだったのに、勝手に自分のプレッシャーに
して苦しんでいたのです。
仕訳がもしかしたら難しいと感じられる方もいらっしゃるかも
しれませんが、好きなことを仕事にしたいと思っている人に
陥りやすいことかもしれません。
好きなことが仕事になるというのは、もちろんそこに勉強や
練習はたくさんあった方が技術も信頼もあがるかもしれま
せんが、まずは自分が楽しいという感覚がとっても大事だし、
だから続けられるし、だから自然発生的に結果として仕事に
繋がるのだと思います。
逆説的ですが、プレッシャーになるくらいだったら、
楽しくなくなるくらいだったら、「仕事になったら
いいな」という目標はまず置いておいてもいいのではないで
しょうか。
急がば回れ、なんじゃないかと思いました。楽しんでいることを
積み重ねる方が早いと思います。
また、仕事とは関係なく、自分のパーソナリティーや人生に
ついても、他と比較したりして目標を定めたり自分をあげたり
することも必要ですが、いつも向上心を気にしてばかり
いないで、そのまんまの等身大の自分で、そこから自分の素直に
正直に感じることに耳を傾けたり心地よいように動いてみたり
する、というので十分ではないでしょうか。
常に自分は落ち度がある、改善点がある、と思い込んでいました。
そりゃ、直したら良いなと思うこと等は日々見つかりますし、
完璧ではないけれど、別にそれでも大丈夫、自分ができる範囲の
ことをして、生きているだけで十分なんじゃないかと思いましたし、
愛されていることを知りました。
(※怠慢がいいといっているわけではありません)
山の中にいて、いつも自然と共にいるとましてそう感じます。
人間が勝手に、この木は御神木だとか神が降りる岩だ、とか決めて
いるだけであって、木や岩からしてみれば、多分特別な木や
岩になりたい、とかさらさら思っていないんじゃない
のかなあと。
だからこそ自然体だしオープンだし自然界は繋がれるのだなあと
そう思います。
魂を持った人間も、同じなのだと思います。