受け取るの話しが続きますが、まあ、やれ植物や
置物やかみさまやなんやと話しをするとかメッセー
ジをもらうとか言うと、まあ大抵の人はひくでしょう。
それは当然であって、今それを受け入れては人生の邪魔に
なる人も多くいると思うし、あまりにも色々なものが
個人によって違うからです。
私もちょっと前までまさか自分が色々見えたりわかったり
するなんてありえないと思っていましたし、信頼できる
サイキックのかた数名にそう言われたのですが、全く
信じることができませんでした。
自分で出来ない、って言ってるのに、何で「できる」って
言うのぉ〜??
という感じでしたが、まあ今振り返れば、確かに言われた
時既に、事例はいくつもあったな、とか思い出すと、
自分で認めなかっただけなのかも、とも思います。
前置きが長くなったのですが、私はとにかく小さい頃から
目立つのが大嫌いでした。蚤のような心臓で、遊びも
おままごとが好き、人が多く集まるのが苦手、みたい
な子供でしたが、そんな子供にとって、転校ってとてつも
ない恐怖なのですが(笑)、幼稚園で1度、小学校で2度、
中学校で1度(しかもそんな多感な時期に、広島の片田舎に
海外から帰ってくる)というとても目立つ経験をさせられ
ました。今思えば、大したことないんですけどね。
いずれにしても、「誰も私の存在に気づかないで!」と
自意識過剰気味に(笑)、人の目に触れるのが嫌い
でした。
まあ、転校してみるとそのうち普通に慣れていくし、今と
なっては良い経験だったと思うのですが、馴染めるまでや、
それまでの心配や不安は子供の私にとってはハンパなかった
です(笑)。
転校生だけでも目立つのに、中学で日本に戻ってきたときは、
なんだか「優等生」と言われ(まーったく大したことはなかった
のですが)、それがとても嫌でした。
苦手なことは人一倍出来ないこともあったけど、全般的に
出来ることは難なくさっくりできる方だったかもしれません。
私はそれがきっと良くないのだと思い、「もっと普通になりたい、
もっと苦労した方がいいんじゃないか。」などと思うように
なると、よくも悪くも願が叶いやすいのか、ほーんとに
それまで出来ていたことができなくなりました。
そして、思った以上に辛かった時間は長かったです^^;
そしてそれから10数年経って気がつきました。
出来ることをわざわざ出来なくしてまで人と同じ苦労や経験を
味わう勉強をしなくても(してもいいけど)、自分にできる
ことであればそれを活かして何かを生み出した方がいいの
ではないか、と。だいぶ後から気がつきましたけど、
もう既に終わっている経験だけど、まだやりたいの?と宇宙に
言われていたような気がしながらも、同じ経験を求めたように
思います。
自分の内側のそういった経験を経て、与えられたものを否定
したりしないで、折角できるのだからありがたく受け止めて
役立てればいいんじゃないかと、思うようになりました。
エネルギーがわかるようになったてきて、個人的に楽しむ
範囲であっても良かったのかもしれないけれど、私の中に、
これを役立てたい、と思う気持が出てきていたのは確かに
ありました。しかしそれすら、ずーっと否定していたように
思いますし、だからこそ、このブログを書こうとした時も、
カウンセラーの仕事を勧められた時も、心の真ん中とは
裏腹に、世間や周りの反応が気になり中々進められません
でした。
もっと私が普通だったらいいのに。。普通に、会計士とか
お母さんとか、音楽家とか、もう少し一般的な誰もに
わかりやすく誰もが賞賛・応援してくれやすいものになりた
かったらどんなにいいだろう、と正直思い悩みました。
家族も周りにも変な心配をかけるかもしれないようなこと、
しなくていいじゃないかと。
なんでこんなわかりにくい理解されにくいものをやりたい
と思う自分がいるのだろう、、、、、と。
でも、心に逆って生きることは、もうできなかったです。
身体にも表れてきました。
反対されても嫌な顔されても、これが私だし、自分を押さえて
生きて行く窮屈さを何世紀も(笑)味わい、これをまだ続ける
ならこの先の人生は必要ないと衰弱していくように(コワい
ですねえ!)感じたのも事実なのです><!
事実、会社を辞めるまで、辞めてからも色々と取り組んで
いくまで、自分の心から逃げようとすると、
原因不明の腹痛(過敏性腸炎と診断されましたが)に
悩まされていました。→ ありがたいことに、すっかりこの
一年、無いです。どんなに辛いことがあっても、必要であれば
大概身体は大丈夫ですが、心と身体がバラバラな時は、心身
バラバラな現象が起こるのだと身にしみて感じました。
そして、本当に周りの方々のご支援があって、思い切って
扉を開けることができ、現時点では私はこういうやり方だけれど
ブログでお伝えすることを含め、エネルギーを使うことが今
一番幸せに感じるようです。
これからどんなことができるかわからないし、どんな
方法をとっていくかもわからず、方法もいきなり変わる
かもしれませんし、どうしていったらよいか常に模索中です。
もういい、と思えばこの仕事は辞めると思うし、明日なのか、
来るのかさえもわかりませんが、より良く効果的に何か
できることをこれからも探していきたいと思っています。