自分ではない誰か憧れや追いかけたい人、目標とする人、等、
そういう人がいる、というのはとても心地のいいことだと
思います。そういう人を目指したり近づこうとすることも
楽しいと思います。
エネルギーが自分より高かったり光っていたりする人を
見ると、そんな気持になることがあります(嫉妬の方へ
エネルギーが流れる人もいますが。。。)。
そして、自分の中で、その人が「大好き」と思っているけれど、
実は相手に何か見返りを求めている場合があります。
この、無垢で純粋に「好き」という気持と、後者の、エゴで
一見「好き」に見えるけど、その人のエネルギーがほしい、
という区別って自分のことよーく見ていないとわからない
かもしれません。でもどこかで何となく気付いていると
思います。もしくは、違和感があると思います。
そして、エゴの「好き」は、相手に見破られるか上手くいかない
ことが多いように思います。
もちろん、綺麗きっぱりどちらがどちら、ということの区別も
つかないと思うし、どちらもあるということも多々だと思うし、
それがどうか、というわけではないけれど、自分の中でエゴの
「好き」(つまり相手に見返りを求めてたり対価を求めてたり
とか)を発見したら、自分の本当の欲求を振り返る時期かも
しれません。
そして、エゴの「好き」も見破っていつつ、大きな目で見て
接してくださっている方がいることも事実だったりします。
気付いたら、いつまでもその優しさに甘えていられないですね。
甘えさせてくれていた方々には感謝です。大きいなあと
思います。
自分の誰かや外側の世界ではなく、自分を好きになること、
自分が自分のことを好きになれるような自分になること、
そういうことに注力する時なのじゃないかと思います。
ナルシスト(場合による)や自己チューでない、
自分のことを好きというのは自尊心でもあると思うし
大事なことだと思います。「好き」を意識しなくても、自分の
ことを卑下したりせず、目の前をしっかり楽しく充実させる、
自分の心を満足させる(ご飯食べるときも洋服を着るときも
歯を磨くときも)ことは自分を好き、ということだと思います。
自分の欲求に素直になるには勇気がいる場合もあるかもしれ
ませんが(色んな経験や積み重ねや刷り込みで、最近は、キャラ
じゃない、とか?)、それでも素直になって動いた方がぐんと
なりたい自分や目指すものに近づけると思いますし満足いく
日常になると思います☆
そして安定感のある明るいエネルギーが発せられると思います。