朝には神様がいる と随分前から思っています。
ベビイが朝早いので、朝5時半とか7時くらいでも
散歩すると朝もやがあったりするのですが、それは
幻想的で、やっぱり朝は神様がいるなあと感じます。
早起きすることは神気に触れること ではないかと
思います。一般的に運のいい人、踏ん張る力のある人は
朝早く起きている人が多いです。
とまあ、そんな風に書いている私ですが、私はもう10数
年も前から、早朝に起こされていたのですが、頑として
布団を出ませんでした。早朝、目覚ましが鳴っていない
のに、目が覚めるのです。今思えば、やることがたくさん
あるから早く起きろ、ということだったと思うのですが、
本当に布団にしがみついていました。
あの時、素直に起きていたら人生変わっていただろうに、
と思っても今はもう後の祭りです(^^;)
それより、そんなに10数年も頑に起きなかったのに、
一向に諦める気配のないガイドはある意味すごいと
思います。
それはさておき、今朝は散歩に行き、途中まで行って
久しぶりの道に入りました。更に緑が濃い場所です。
余りにも緑が濃いと、ドキドキします。昨日、自然に
預ける、ということを書きましたが、実は家の周りの自然は
おそらくかなり濃く、人もあんまりいないので、未だたまに
ドキドキします。春先等は、咲いている藤の花が妖艶に
見えたり、アヤメが生々しく感じられたりしました。
今朝は、少しドキドキしながらも佇んでいたら、
「自然に敬意を」と浮かんできました。
そっか、そりゃそうだよね、ふかふかのベッドのように、
といえども、そうだよね〜、と思いながら、先日近くの
岩に、「神や自然に感謝しなさい」と言われたのを思い
出したりしていました。
そんなことを思いながら歩いて帰る途中、「親しき仲にも
礼儀あり」とふと浮かんできました。あ、そっか、境界線って
親しき仲にも礼儀あり、のことだったんだ!、とものすごい
自分の中で腑に落ちて納得しました!
こういうのが私の気付きなのですが、こういうのが自然や
ガイドが導いてくれるギフトで、私にとっては気付きが
何よりのギフトなのです。
親しき仲にも礼儀あり、親しくなければもっと、ですね。
批判やコントロール、甘えや押しつけや決めつけ、近しい人に
も接点のないテレビの中の人にも、全部境界線越え
ですね(@@;)
小さい頃、親しき仲にも礼儀あり、を皆ができたら、
どれだけ気持よく生きれるだろう、、、と思っていたのを
思い出しました。
どんなに親子でも兄弟でも親戚でも、例え0歳児であっても。
すべての人が境界線、つまり親しき仲にも礼儀ありが出来たら、
戦争はなくなると思います。
どんな相手にも礼儀を持って接するということは、敬意を
払うということであり尊重することになるからです。