干渉しないこと

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干渉しないのが愛 というのを最近思い出しました。
干渉しないのは、相手を信じること、相手の未来も
能力も信じること。
無関心、というのとは違います。

心配だから、大好きだから、を理由にすべてを知ろうと
されたり(監視されてるように感じることも)、あれこれ
言われたりで自分の思うように出来ず苦労された人も
多くいると思います。
概して、光の強い人程、受けやすいです。

一見愛に見えるそれらは、裏に隠れている恐怖や
寂しさ嫉妬、アドバイスしてその通りになるだろうという
傲慢さや更には自身の能力の誇示であったりします。
他人を描いたレールに乗せようとしたり、相手が思った
通りにいかないことに腹を立てるのも同じです。
つまり、自分が安心したいだけというエゴや支配欲に
繋がるんだと思います。

相手には相手の人生とペースがあります。「もっと
こうすればいいのに」とつい思ってしまうけれど、
相手の力で目の前のことがこなせることを信じて、
一歩引いて見守るというのが本当の愛だと思います。

全然関係ないのですが、「神様的」が最近私のテーマと
なっているのですが、神様って、干渉してこないなあと
思います。
神様なんていないんじゃないか、と思うくらい(そう
思って生きてる人もたくさんいるしそう思って生きれる
くらいですよね)自由で干渉してこない(笑)

でも結局それが、本物の愛だからだと最近気付きました。
本物の自由と楽さと心地よさがあります。
寂しい人も構ってほしい人も、干渉となるとノーサンキューな
はずです。

例えば、寂しさや孤独感があってもいいと思う
(あ、不要だと感じるのに、ナルシズムの意味でずっととって
いるものと違います。手放すことができない、自分の内側から
出てしまうもの、という意味です)。
対外的にアピールしなければ、その人の素敵な要素に
繋がると思う。
そして、それらもひっくるめて一人の時間を素敵に過ごせる
ようなゆったりした趣のある人、口元は微笑んでいるような
人がたくさん増えたらいいなあと思います。
アピールしなくても、歳をとればとる程、内側は外に出ます。
その出てきたものが、なんとも言えない素敵なものでありたい
と、まだまだ修行中の身ですが、思っています。


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