聖地巡礼〜霧島〜とグラウンディング

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人は意識的無意識的に関わらず、生きている間に
聖地巡礼を行うのかもしれません。

思えば神社に行きたいとはっきり意識したのは、
高校生の頃、なぜだか神話に興味を持って図書館で
日本書紀の現代語訳版を借り、内容はよくわからな
かったのですが、神話の舞台である出雲大社に行きたい、
と思って親に頼んだことだったと思います。

、、、と思っていたのですが、よーく思い出したら
もっと前の小学校3年生の頃、別件で、でした(^^;)。
小さいながらに必要としていたものがあったのでしょう。。。

それはさておき、寺社仏閣に囲まれた京都での学生生活や
社会人になってから出会った人の影響、よくある恋愛成就
中心の神頼み、エネルギーを知ってから半分意識的、でも
導かれるように、など、その時の状況は様々ですが、たく
さんの神社、特に、一の宮や大きな神社にも流れるように
行ってきたように思います。

もちろん、自分では聖地巡礼をしているつもりは全くないの
ですが、もしかしたら魂がしているのかもしれない、と
思ったのです。
なぜだかわからないけれど行きたくなったり、行く状況に
なったり。

まあそうして時が流れていった中で、自分の中では、日本の
神社で残るは霧島だけ、だとなぜだか思っていました。

そして、念願叶ってその霧島に行ってきました!

写真は霧島神宮。
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神宮に、温泉が湧いています。
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霧島の温泉に浸かりましたが、グラウンディングの
パワーがすごい、鹿児島の大地含め、温泉のパワーが
すごいと思いました。
足湯でもお風呂でも、浸かってから数時間、足の裏が
ジンジンしていました。

目の前の現実を楽しくしようと動く事、毎日の生活を
幸福感で満たすように現実的に動くように努める事、の
大切さを改めて認識させられました。

よく、「現実に戻る」とかいうと、辛いことや苦しい事が
現実のように捉えられがちですが、生きている中で実際に
感じる「幸福感」だって現実、地に足のついたリアリ
ティー、だと思います。

美味しいものを食べた時の幸福感、ご飯を美しく盛った
時の楽しさ、人との会話の楽しさと喜び、お洒落の楽しさ、
など、そういう現実の幸福感がある時、文字通り、生き
生きしています。
よくエネルギーエネルギーと言っていますが、
体の中心を駆け抜ける喜び、その体感、つまりはわかり
やすく言えばこのことだと思います。
光のエネルギー、根源のエネルギーの方ですが。

霧島の温泉に浸かりながら、目に見えないエネルギーを
追いかけるよりも、実際の暮らしや現実の中で楽しい
ことを探したり作り出したりすることに努力したほうが、
いいことあるよ(笑)、と言われました。

スピリチュアルを探求していると、目に見えない世界
だけに、そちらに偏るとぼーっとしてしまいますし、
実際の生活がおろそかになったりリアリティーではなく
空想の世界で生きがちになります。

でも実際、それでは、エネルギーが入ってこないし、
それが証拠に「生き生き」がなくなってきます。

これは、ある意味スピリチュアルの落とし穴であると
思います。

興味があることを止めてください、と言っているのでは
ありません。

自分が生き生きしている実感を求めて動いたり、現実の
問題に対して、現実的に動く中でも、必要であれば
スピリチュアルなことも理解出来る瞬間がきちんと
やってきますし、むしろもっと深く核心につながるのだと
感じました。


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