私にとっては、現在、直感に従わないことがエゴで
生きることであり、直感に従うことがエゴを捨てる
ことになっています。
直感は自分のマインド(心や意思)と真逆だったり
するので、自分の中での葛藤が大変です、
でした(^^;)。
葛藤が激しいから必要以上にエネルギーを使って
(例えば食べすぎるとか)浪費するのだなあ、と
最近気がつき始めました。
もう、毎瞬毎瞬が直感レッスン(エゴ捨てレッスン 笑)
のような感じで、さっき皿を拭いていたかと思えば、
さっさと中断してコーヒーを一口飲む、とか。。でも
後からその意味がわかります。その時しかタイミングが
なかったり、一口飲むことで切り替えができる、とか、
後からわかります。
それはさて置き、先日も書きましたが、「人間は元々
感覚的なものである」ということがわかると、
スピリチュアルの理解も早いです。
、、、というより、頭では理解できません。
何となく理解できても、理由や理論を求める頭では
理解は難しいと思います。私もこれで苦労しました。
でも、感覚的になら、すんなり理解できます。
頭で考えるより、ずっと早いです。
感覚的に、、、とはどういう感じかというと、
私の場合は、体全体を使って、または、体の周辺で
感じる、ということだと最近気がつきました。
音楽を頭ではなく、体全体で聞いたり感じたりするのと
同じです。
面白いことに、英語のヒアリングを頭で聞こうとすると
全然聞こえないのですが、自分の体から離れた場所に
意識を持っていく(特に肩より下で体から20〜30センチ
くらい離れた場所。私の場合は足元の時もありました 笑)
と、よく聞こえます。
自分の体の周囲から見たり聞いたり感じたりするように
すると、ゆったりと落ち着いて全体が見える、全体を感じ
やすくなるようで、私の「感覚的」というのは例えば
そういう感じです。
そしてそれが感覚的に掴めたら、いかにそれまで「頭」で
理解しようとしていたかがわかるかもしれません。
エゴの位置というのは、物理的に体の「頭」の部分です。
でも、ここを感じ始めるのって大人になるにつれて
学校や社会が「頭の良さ」を求めていたり価値を置いて
いることを自然と刷り込まれたりしていく中であって、
それまでは感覚的にものを覚えたり体感したりしていた
はずです。
だから自然体でいられたのだと思いますが、特に「頭の
良さ」に価値を置く人程、エゴが強いように見受けられ
るし自然体から離れていくし、感覚という大きく広い
可能性を使わないので苦しくなっていくのだと思います。
見ていて、うっわ〜神業!かみってる(笑)!って思う
人程、感覚を最大限に使っているように思います。
大事なのは、「頭」というより、「感覚」がキーなのだと
思いますし、その感覚自体、また感覚があることが、愛を
与えられていることだと思います。
長くなってすみませんが、何かちょっと苦しかったり
ストレスを受けた時に、体から20〜30センチ離れた
肩より下、私の場合は特に左側を感じると、息が
ふっとできて一瞬楽になります。
どうしてか質問してみたところ、「愛があるから」と
返ってきました。
呼吸ができて楽になる=つまり、愛のエネルギーがある、
ということで瞑想や呼吸法も大事なのだということにも
行き着きましたが、空気があって初めて人間は生きて
いることができます。
空気があること自体が愛で、それは地球上どこにでも
あります。
すぐそこにいつでも愛があり、いつでも常に包まれて
いるのだと教えられた経験でしたし、肩より下の左側
とか(笑)自分の周囲のエネルギーについても面白い
発見と新たな課題を見つけられた経験でした。
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