嫌われる恐怖を手放す

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好きな人には誰しも嫌われたくないものですし、自分を好きで
いてほしい、その人と一緒にいたい、繋がっていたい、と思う
のは人間の性ですが、嫌われないための努力や心配って大変です。
気がついたら、いつもエネルギーが漏れていたり苦しかったり
します。

正直に生きた方が、相手に対して礼儀、ではないかと思います。
結果がどうであれ。

それに、「嫌われたらこわい」「嫌われたら嫌だ」という気持ちは
自由を奪います。結果、自立や自由を阻害する、自分を束縛する
苦しいものになるのではないかと思います。
それが例え親子や兄弟の関係であれ(どんなことをしても子供が
親のことを好き、と思うのは当然、というのも驕りだと思います。
逆もしかりかもしれませんが)。

これまで依存や好かれるためにへりくだって来た(無意識でも)
相手に対して、素の自分を出した時、逆ギレされたり離れて行かれ
たりすることもあるかもしれません。特にそんなことは思っていない
関係でも、自分が変わることによって離れていってしまう人がいるかも
しれません。
私は、個人的にたくさん経験して、それであれば「それまでの関係」
と思ってしまうのですけれどね。
だって、本当の自分、本来の自分、変わりゆく自分では相手は受け
入れてくれない、ということですから。
逆に、どんなにへりくだっても媚を売っても(無意識ですが。俯瞰で
自分を見ると、無意識で動いている自分も見えてくるものです)、正直で
ないこと(苦手だけど、うまくとりつくろっておこう、みたいなやつ)は、
結局は後で上手くいかないようになることばかりでした。
真実の「愛と信頼」で繋がっていなかったからかもしれません。

でも、捨てる神あれば拾う神あり、古い皮を脱ぎ捨て、嫌われる恐怖を
手放した本来の自分には、それに見合った新しい出会いがやってくる
ものです。

だからといって、投げやりに「自分は嫌われてもいい」とか「自分は
嫌われている」といじけて生きなくても、日々楽しく奢らず感謝して
生きている人が、そんなに嫌われることってないんじゃないかと
思います。


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