お正月には、小さい頃からうちは毎年地元の神社で
いわゆるご祈祷(祝詞をあげてもらう)をしてもらって
いました。
他にも、今思えば、祖母が毎月のお一日参りに行くのに
よくくっついて行っていました。
そういう意味では、私にとって神社で祝詞をあげて
もらったり聞いたりするのは、小さな頃から身近だった
なあ、と大人になって思います。
そしてそれが嫌でなかったこと、今思い出せばいつも
すっきりしてなんだか楽しかったなあ、と思います。
結婚式を始め、厄年が重なったりしたので、現在でも
結果お正月には祝詞をあげてもらっていることが続き、
先日も少し遅めですが家内安全をの御祈願に行って
きました。
毎年のことなので、やはりお正月に祝詞をあげてもらうと、
「新しい年が来た〜、新しくなった」と思います。
また、機会があり、お正月以外でも祝詞をあげてもらう
ことがたまにありますが、その度、「祓われることは
元に戻ることだ」と実感するし、神社のことが書かれている
本にも、神道の基本は祓うことから、といったことが
書かれてあるので、最近はよく納得しています。
話しが少しずれましたが、大人になってからも私は全然
変わらないなあ〜、とあきれたのが、祝詞をあげてもらうと、
大抵の神社ではお札やお下がりのお酒やお菓子をいただき
ます。なんだか、そのお下がりには、とってもワクワクする
ものが入っているような気がして、私にとっては何とも
魅力的なのです。そして、入っているものはどこもそんなに
変わらないのに(お酒とか砂糖とかお札、箸等)、貰って
からも毎回なぜか大満足する自分がいます。
これ、なんなんでしょう?^^
立派な神社の拝殿に上がれることや、そこで祝詞をあげて
もらえたり、エネルギーでコミュニケーションしたり
する幸せとエキサイトもさることながら、それ以上に
お下がりの紙袋が気になってもらうのが楽しみな自分を
今回あらためて感じ、私ってなんなんだろう。。。と、
しばしあきれました^^;
子供の頃から全く変わっていないと、我ながら単純だなあ〜、
と思うのでした。