感情と理性

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「善意があれば何でもしていい、ということはない」と
昨日、話しをしていた人たちの間でその言葉が出てきて
はっとしました。

まあ、基本に返れば善意の押し売りになるから、
そりゃエゴだわねえ、と後で落ち着いて考えるとそう
なのでしたが、自分がはっとするということは、
自分に心当たりがあるということ。
ちょっとだけ、この言葉、噛み締めました。
相手の状況をできるだけ想像したいものです。

しかし、言わなきゃいけないことも生きていれば
あります。相手が傷つくかもしれない、と思うことを
伝えるのは、誰でも勇気が要ります。それでも、必要
だと思って伝えている人の気持を、「傷つけられた」と
だけ思っている人は勇気を振り絞って伝えた人の
気持が想像できないのだと思います。
ネガティブにしか受け取れないから、愛が上手く
受け取れないのだと思います。
たくさんの愛に包まれているにも関わらず、気づか
ないで不平不満ばかり言っているのは、わがままにしか
映らないと思うのです。やせ我慢とは違います。

人との関係も、切るだけなら簡単です。
でも、人が違うのだから意見が違って当然、そこを
単なる争いとしてとか責めとしてだけ捉えても発展しない
と思うのです。必要であれば思うことをきちんと伝えて、
相手の話しも聞いて尊重してこそ深く関係が築かれると
思うのですが、そこに行き着く前に思い込みで傷つき
過ぎたり、一方的に押し付けたりして感情で終わって
しまう関係は何だか勿体ないと思うしつまらないと
思うのです。

ニュートラル(理性的)でいればいる程、感情が出ても
すぐに軌道修正できるし、全体的相対的に何が良いか
冷静に偏見のない判断がしやすいと思います。
昔、美輪明宏さんの本に、「問題は理性的な方法で解決
すべき」といったことが書かれてあったと思うのですが、
本当に理性的になって初めて問題に向かえると思うの
です。

私は、感情にどっぷり浸かる、という時間が、かなり
短くなりました(集中して短時間にどっぷりはよく
あります☆)。
人からすれば、ちょっと冷たいんじゃないか、と思われる
かもしれません^^;でもそれだけニュートラルでいられる
のでかなり楽です。起こったことではなく、じゃあ
何をケアしたら良いのかを自然に考えるようになって
いました。
今の私にとっては長く感情に浸ることが、不自然になって
しまいました。もちろんこれからそういう時も出てくるかも
しれませんが、感情に浸ってると、頭がどんどん動いて
必要のない妄想が広がって、結局疲れるからできるだけ
切り替えるように務めています。一つ所に止まってしまう
時は、集中してそのことに専念して、さっさとそこから
解放されるよう務めます。
長く感情に浸ることに、もう疲れて飽きてしまいました(笑)。
日々やることもあるし、一つ所に止まっていられません。
地球も毎日回っているし、全く同じ日は一日も無いし、
毎日変わって行きますから(笑)


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