すべてのことに趣を

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先日、身の丈の話しを書きましたが、身の丈とは、
「趣」とも言い換えられるんじゃないかと思いました。
ちょっと強引かもしれませんが(^^)

言葉のトリックによ〜く捕まってきましたが、
10数年、「こだわり」という言葉にひっかかりがありました。
よく、「こだわりを捨てろ」とか言いますよね?
その言葉を聞いたとき、「ああ、こだわりはいけないんだ」と
その時思ったのが大きく私を分解しました。
それまで自分が良しと思ってきたもの、心地よかったものを
まるで否定されたかのように感じ、そのまま素直に受けて
しまったのだと思います。それまで培ってきた自分の価値観って
なんなんだろう、とか、培ってきたつもりで、実は育った環境の
中で刷り込まれてきたものなんじゃないだろうか?
だから本当の自分って、本当に自分が感じるものって何なんだろう、
と漠然としはじめてしまいました。
それまで良しとしてきたものが自分の中で崩れていったから、
一から自分の良しと思うものを探そうとしたけれど、結局はますます
よくわからなくなる一方で、結局は心地よさが得られませんでした。
↑ まあ、考えすぎなわけです。

「こだわり」と理解しようとしていたものは、実は
「趣」だったと気がつきました。

周りの環境で、自ずと何にでも「趣」を求めていたことに
気がつきました。

自分の心地よい「趣」を求めると楽しくなるし、丁寧になります。
趣は、何にでも求められますからね。
身の回りに置くものから食べるものから話すことから生き方まで。
そんななので、趣を求めるだけで客観的になれると思いますし、
落ち着いてくると思います。
言葉のトリックに捕まってそれを放棄していたなんて、、(@@)
左脳のエゴにやられたなあ、と思いましたし、我ながら
ちょー面倒くさい、と驚きました。
結局「こだわり」についても、善悪で判断しようとしたから
こうなってしまったかもしれません。

まあつまりは、色んな情報や言葉に惑わされたり捕われたりせず、
自分の芯で感じることが大事なのだということなのだと思います。


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