2016年11月14日
by Sun Dish
0 comments

自立と自由、自分が在るということの癒し

前回書いた自立の話ですが、「精神的に」と
いうことです。
物理的に自立すれば、これまでわからなかったこと
や安心感や、逆に自分の欲求もクリアになって
くると思いますし、したいと思っている人には
私はお勧めします。
また、経済的な自立が自由を得られるように、
精神的な自立は、どこに行っても自由であると
いう身軽さを得られると思います。

前回とは逆で、親が子供に依存・執着していることも
多々有ります。自分の思い通りに育って欲しい、
対応して欲しい、親の言うことだから子も聞いて
くれるだろう、といった親の期待。
また、子供に嫉妬したりひがんだりする親も
たくさんいます。
子供は親に一番おおらかに見守って欲しい、自由に
させて欲しい、つまり信頼して欲しい、そしてそれが
親の愛と思っていますが、「心配」もしくは
「寂しい」といったような心情を盾に(本人は気づい
てないかもしれませんが)コントロールしようと
してしまう親もたくさんいます。
大人になるために、親をさせられている(自分の魂に)
人もたくさんいるかと思います。
親も自立して欲しいものです。
親は子供の大きな海であり地球であって欲しいと
個人的に思います。

ところで、全然話は変わりますが、瞑想やヨガや
かみさまの前で「無になる」ということを何度か書いて
きましたが、「無になる」イコール、自分の存在を
消す、もしくは無き者にする、ということでは
ないです。溶けるような感覚になるかもしれませんが、
あなたあってのワンネス。
すべての人、すべての魂や存在で成り立っていて、
あなたもその一部。
まずはあなた自身の存在や魂があって良い、という
ことを認めてみてください。
とても大きな癒しにつながります。
自尊心という言葉が、心の中に響く人は特に☆

2016年11月10日
by Sun Dish
2 Comments

自律した大人のエネルギーで

img_1474
別府は岡本屋の卵サンドとプリン。
最高でした!

兄弟の縮図の中で、長女や長男は、「お姉ちゃん
だから我慢しなさい」「お兄ちゃんだから下に
譲りなさい」、と下の兄弟が優遇されて育って
きた人もいると思います。
一方で、「年上の特権」ではないですが、「お兄
ちゃんの方が偉い」「お姉ちゃんの方が偉い」と
いう刷り込みの中で育った人も多くいると思います
(特に長女・長男の人)。
後者の場合、「年上が偉い」という刷り込みがあり、
それは社会に出てもそのままである人が結構多く
見られます。
年配者、先輩を敬う、というのは一般的なことで
ありますが、「自分が偉い(権利がある)」と
刷り込みでも思って生きていた人は、気付かない
限り、大人になってもそのままの対応を他や社会に
求めたり、兄弟の中でも、いい歳になっても
いつまでも上に立ちたい欲求から離れられずそう
振る舞う人がいます。
小さい頃は家の中で許されていたかもしれない
癇癪も、成長するにつれ、どこかで「やばい」と
気づくべきだと思うのですが、暴君であることを
許してきた結果大人になってもそのまんまの人が
います。
「家の中だから許される」という甘え。
家の外でもそういう振る舞いができるのは、更に。
でも、当の本人は全然気づいていない場合がほとんど
です。むしろ、「自分は偉い」という刷り込みから
抜けられず、優越感といつまでも上から目線を
持っている方が多かったりします。
自分中心だから、全然人の話が聞けないし、空気も
読めない。周りも見えない。
エネルギー的にいうと、波長的にはかなり低いと
思われますが。。。

もうほんとやめて(笑)

ねっとりべっとりした家庭環境は、自立と自由を
求めている人には向きません。
嫌という程味わったら、あなたが大人であるならば、
出て行かれたらいいと思います。

20歳を過ぎて、家庭環境がこうだったから、、とか、
育てられ方がこうだったから〜、とかは言い訳だと
思います。
確かに親の影響は大きいと思いますが、そんな歳に
なったら、もうどうしたいか自分で選択して動けば
いいのではないでしょうか。
大きな傷や嫌なことも、距離を置いたり、そうではない
生き方を選ぶ、傷がなくなるくらい癒したり楽しい
人生にする、ということもできるのではないで
しょうか。
そこまで親の責任はないと思います。

はっきり言って、親がどんなに(いろんな意味で)
頑張っても、子供の魂というのがあるのですから。

そして最近思うことは、嫌な人に会ったり嫌なことが
あった時、これまでだったらそういう人の気持ちを
理解しよう、としてきたし、その人の状況もあるし
なあ、、と一方的に責めたりする自分を戒めようと
してきましたが、よく考えて、受け入れられない
ものは素直に受け入れなくていいのだと思いました。
変な恐怖心でいい人ぶったりしないで、単純に
反面教師にすればいいのだなあ、と思いました。

みなさまに、たくさんのいいことがありますように!

2016年11月7日
by Sun Dish
0 comments

感情移入はたくさんしてきました

感情移入。
自分だったら、と、つい考えてしまい、傷つけたり傷つく
事が先立ち、言いたい事が言えず、自分が悪いのでは
ないかと責めたり、、、というパターンに陥っていた
長い年月があったように思います。

相手の立場になって考える事が、「自分だったらこう
感じるんじゃないか」というのにすり替わり、
感情移入になってしまっていた事も分かりました。

つまり、「自分だったらこう感じるんじゃないか」と
いう想像は必要だと思うけれど、果たして本人がそう
感じているかは別なのだと。つまり、他人の幸せは
自分の物差しでは計れない、ということ。
同時に、他人の不幸の決めつけであったりもするという
こと。

他人の目にどのように映ろうと、幸せは本人の心の中に
あるものだから、他人が決めることでもよくして
あげようとすることでもないのですね。
独り相撲を長いことしていたことに気がつきました。

同時に、他人の目にどのように映ろうとも、人は
困らないと変わろうとしたり動こうとしたりしないもの
なのかもしれないなあと思いました。

そういう感じで、かみさまも人のことをのんびり見て
いらっしゃるのだろうなあ、と思いました。

放っておくことが、境界線になり、バリアになり相手に
とって愛になること、逆に、感情移入がエネルギー漏洩に
なることも改めて感じました。

自分だったら傷ついてしまう、という理由での感情移入では、
客観的になれないので何にも前に進まないのかもしれないと
気付いて、さあ大変だと思いました。

小さい頃からずっとそうしてきたのに、これから抜本的に
変わることになりそうです。

今年に入って、ずーっとずーっと不要なものを見つけては
手放す作業を続けてきましたが、ここに来て、もっと大きな
ものに出くわすとは思いませんでした(^^;)
が、気づきはいつも奇跡と大きな喜びですので、ぼちぼち
やっていきます。

img_1473

2016年10月27日
by Sun Dish
0 comments

自分の中にいるかみさま

自分が潜在的・顕在的に関わらず求めている答えは、
直感の時もあるし、人との会話や何気なく見たテレビや、
何気なく手に取った本に書かれてあったりします。
自分の興味のあるなしに関係なく、こんなところに
あったのか、ということも多々あるので、広く偏見なく
受け止めたり触れたりすることが大事だなあと、最近
感じました。

先日から自尊心について考える(というよりは、意識が
勝手にそちらに集中していた、というほうが近い
かもしれませんが)時間が多いのですが、それをして
いたら、あることに気がつきました。というより、思い
出した、という方が近いかもしれません。

神様は皆、自分の中にいる ということです。

思い出したのですが、数年前、サムイ島に旅行に行った時、
ビーチサンダルを売っていたテーラー(笑)でビーサンを
買い、そのついでに駐輪場代わりに原付を停めさせて
欲しいとお願いしたのですが(タイでは原付2、3人乗り、
4人乗りの人もたくさん見かけます)、そこのお店の
ネパール出身のお兄さんと話していると、
「神様はどこにいると思うか?」と言われ、自分がどう
答えたかは覚えていないのですが、彼は、胸を手に当て、
「ここにいると思う」と言っていました。

そして、その1ヶ月後、初めて師匠とお会した時、
「皆んなの中に神様がいて、、」とお話されていたことを
思い出しました。

そりゃあ、傲慢も横柄も上から目線も許されないよねー、と
改めて思いました。

1ヶ月の間に同じことを聞き、自尊心に集中していたら
それを思い出し、自分でも実感。

人はいつどんな時に何を思い出して腑に落ちるかわかりま
せんね(笑)。面白いです。

倫理観や、美しさやいろんなことを感じれること、、、
誰の中にもある神聖さ。
自分の中にあるその神聖さ、自分では当たり前にあると
思っているかもしれないけれど(だからこそ神聖だとは
考えたこともないかもしれないけれど)、それがあると
いうことの尊さ。
これを信じることが揺るぎない自分を信じること、
だと思うし、誰でもない自分に自信を持つことだと思う
のです。

自分の中の神聖さと1番近い(もしくはそこにある?)のは、
心の奥底、体でいうとみぞおちの奥の奥辺りでしょうか。
ここから放つエネルギー、受け取る感じ、自分の感じを
ヒーリングやリーディング、自分を感じる際に参考に
されてみてください。

2016年10月20日
by Sun Dish
0 comments

自尊心

自分のために、上等な器を買って、丁寧にコーヒーを
淹れる。

自分のために、きちんとアイロンをかけた服を着る。

自分のために、美しいものを身につける。

全部、自尊心。

自分の感じることを認めること、これも自尊心。

ここを大切にしていると、落ち着いてきます。
暖かくゆったりとした気持ちになります。これが自尊心。

いつかファッション雑誌で、女の人が綺麗になることに
どうでもよくなってくるとどこか歪んでいる、と
書かれている記事がありました。気になるところは、
いつも引っかかって覚えているものです。

自尊心の大切さに気がついて、ああそうだなあと
思います。

傷ついてボロボロになっている時こそ、「自分の運命や
人生はこんなものだ。仕方がない。」などとは思うのでは
なく、自分をお姫様のように大切にしてみること、を
お薦めします。
自分のエネルギーが、事象や人を引き寄せるからです。
だから、まずは自分から。
だから、自尊心が大切です。
暖かい自尊心が出てくると、他人も同じように大切に
できます。
自分だけを大切にするのは、他人と比べて自分が優位に
立ちたい、賞賛されたい、という、つまり他からの愛を
必要としているエゴになります。
他からの賞賛、認められたい、という気持ちが出てきたり、
そんな自分に気がついたら、まず自分に優しくすることが、
自分に注ぐ愛が必要なのだと思っていいと思います。

個人的な見解ですが、人生の修行における苦行は
ボロボロの擦り切れで終わることが多いと思います。
それも自由な選択ですが、それに飽きたら、自尊心を
見直して新しい世界の扉を開けてもいいのではないかと
思います。
ボロボロの擦り切れでは、本人がどんなに善良なことを
行っているつもりであっても、見ている人は痛々しくて
仕方がありません。

ちなみに、自尊心が培われてくればくるほど、自分に
注ぐ愛が増え質も上がるので、クリアリングでお伝えした
方法もパワフルで、自分に注ぐエネルギーや光の量や質が
かなり変わったりイメージもしやすくなります。

世の中が平和になるためにも、個々の自尊心が必要です。

「もう自尊心を傷つける環境に自分を置かない」
「自尊心を傷つける関係は終わりにする」
と、アフォーメーションしてみるのもお薦めです。

かく言う私も、絶賛自尊心大注目、エネルギー注ぎ
込み中で、どしどし上げていこうと思います☆

2016年10月18日
by Sun Dish
0 comments

自尊心は豊かさ

自尊心とは、自分を大事にする気持ち。
胸に広がる豊かさ。
自分のエネルギーの中心。
なんだなあ、とここ最近思っていました。

自尊心=豊かさ、と発見できたのは嬉しかった
です。

昨夜お月様を見ながら、ちょっと
悩み事を打ち明けていましたら、
「あなたはあなた、気にしないこと」と
言われました。そして、いつも見ている、と。

胸に染み入る言葉と一緒に入ってくる
エネルギーで、ハッとし、元気をもらいました。

誰しも、太陽も月も星も空も、いつも見ていて
くれているんだなあと感じます。

2016年10月14日
by Sun Dish
2 Comments

心奪われて生きる☆

img_1370

すっかり秋ですね〜。
最近の空は、鳥や天使の羽や、飛ぶスピリットが
たくさんいるように感じます。

いつも何かに感動したり心奪われたりしていたい
なあと思います。

自分が一番になってしまうと、嬉しい瞬間もあるけれど、
自分ばかりを見ることになるし、いかにそれをキープし
ようかとエゴが発動して結局は苦しくなったり自分しか
知らないのでつまらなくなってしまいます。
また、それを目指すと、いつも苦しいです。
他人は自分を賞賛してくれるだけのためのものと
なってしまうからです。

他に心奪われながら、すごーい、という喜び、至福、
そんな人やことに出会えて生きてて良かった!という
気持ち。

そういった中で生きていきたいです(笑)。

2016年10月5日
by Sun Dish
0 comments

身体全体でゆったり生きる

虹を見た翌朝目覚めた瞬間、体で感じることと
それが第一チャクラでわかったという体験をしました。

そして、どうしてこれまで体の声を聞いてこなかったん
だろう、と思いました。いや、正確には、いつからか
聞かなくなったのです。紐解けば、おそらく、音楽を
頭で理解しようとし始めた中学生くらいの時からか。。。

体の声を聞く、というのは、痛い、とか苦しい、とか
病気系のことだけではなく、例えば、歌を覚える時とか、
体全体で覚えませんか?頭だけでは覚えきらないのです。
大人になるにつれ、頭でっかちになるのか、エゴが優勢して
くるせいか、その「自然体」を忘れてしまいがちになり
ます。大人になって物覚えが悪いのは退化しているせいに
されていますが、もしかしたら、自然体から離れて
いっていることも関係しているのではないかと思います。
物や人を見る時、自然の中にいて自然を感じようと
する時、大人になってからは、「頭」で見ようとします。
それが、なんか違うと思って、私はお腹やハートで見たり
聞いたりすることが真実だとわかってそうしてきましたが、
それはもちろんそうなのですが、もっとゆったり、足の先
まで体の全体で感じれば、無理なく落ち着いてわかること、
受け止められることがわかりました。
つまり、「自然体」って足の先までゆったり色々なものに
対して開けている状態、なのだと思ったのです。

頭のてっぺんから足の先まで、人間の動作の器官として
だけでなく、体は自分の魂やエーテル体(?)、オーラと
重なる部分も全部自分で現世に生きているからこそ、
チャクラなどの物理的な位置を体と重ね合わせているの
かなあと思います。例えば英単語をお腹や身体の前面で
覚えたり(物理的な位置的に脳ではなく)。
スピリチュアルをやっている人に多いと思うのですが、
どうしても、「頭」に意識が行きがちで、「頭」が重要で、
「グラウンディングがどうして必要なんですか?」という
人もいるのですが、人として生きていることもすべて
スピリチュアルで神聖なことであり、身体は同等に神聖です。
頭だけでは、光を見ようとした時、蜘蛛の糸のような細く
頼りないものをつてに見ていかなくてはなりませんが、
足先まで身体全体を使って見たり感じたり聞いたりする
ことは、ゆったりとしっかりとグラウンディングして
たくさんの情報を得たり交換したりすることができると
感じました。
センスのある人は、無意識にこれ(身体で感じたり覚えたり
考えたり)を行なっていると思います。
頭でっかちにならないので、自然体なのです。

そして、エネルギー交換は、言葉以上のものが行われる
ことを体感しました。
自然に話しかけてください、と言ってきましたし、自分でも
そうしてきましたが、自分の器官が足先(毛孔まで 笑)開くと、
そこに佇むだけで、感じるだけでエネルギー交換されて
いることを感じました。
あ、感じられなくても、交換は行われていると思いますが。
感じることができると、私は楽しいです。

言葉で書くとこんな感じですが、それを一瞬にして体感した
経験でした。わかる、というのは頭や言葉の理解を超えて
います。

虹を見た時、夕暮れ時で空が赤い中見たので、「赤い虹
だなあ〜」と思っていたのですが、赤は第一チャクラの
色です。
このサインだったのかなあ、と後から思いました。

それから、また全然違う話ですが、ヒーリングや
クリアリングも、自分ではどうしてもできないところが
あったりエネルギーが通らなかったりすることがあります。
私の場合は全部自分でなんとかできる自分を見たいという
エゴが隠れていました(笑)。だから、宇宙にお返しです(笑)。
できないこともあるということ、自分で頑張ってもできない
部分があるところは、祈って宇宙に任せたりできる誰かに
任せる、ということ。
人の可能性は無限大だと思っています。
だけど、自分以外のすべての人や存在のおかげで自分が
あるということを、改めて思い知らされました。

2016年10月3日
by Sun Dish
0 comments

虹が出てました。

今日は夕方から雨が降っていたのですが、
夕食の準備をしていたら窓からすごい夕焼けの
明かりが差してきたので、外を見てみると、
全体が赤ーくなっていて、なんかいつもと様子が
違うので外に出てみました。
そしたら、空に虹が。大きかったです。
(※写りがあんまり良くなくてすみません)
img_1363
うふふ、なんだか胸騒ぎのするような(笑)、
虹でした。

2016年9月30日
by Sun Dish
4 Comments

自分の感じはサインでもあります

すごくお世話になっていたり、よくしてもらって
いるのに、なぜか会いたくない、なんだかなあ、、と
感じる人、ってたまにいます。
「あの人は素晴らしい」とみんながみんな賞賛するような
人であっても、そう感じることってあったりします。
自分の中にそういう感じを見つけた時、自分はなんて
社会性のない人間なんだ、とか、馴染めない自分が
悪いんだ、と思ったり、最終的にはそういう自分の感じを
気のせいだと思い込んで接するようにしていたことが
長い間ありました。
でも、結局、最終的にはうまくいきませんでした。

今思えば、何かをキャッチしていたのだと思うし、
ある意味「気をつけろ」のサインだったのだなあと思います。

生きていれば、そういう相手とも接しなくてはならないことが
ありますし、それを全部避けて通ろうとしていたら、
引きこもってしまっていたでしょう(@@;)

そう感じる理由は様々だと思います。例えば、コントロール
しようとしている相手であったとか、我が強い人、とか、
甘えてこられそうとか。。
明確な理由を追及する必要はそんなにないとは思うのですが、
たくさん経験して思うことは、自分の感じを信じていいと
思う、ということです。
そして、どうしてもそういう相手と接しなければならない
時は、仕事と同じだと思うこと。仕事も、やりたくない
ことや接したくない人と接しなくてはならない場面って
ありますよね?だから仕事だと思うのですが。
そして、むやみに自分の感じを無視して、「相手はいい人
なんだから」と思い込んだりせずに、自分の中で距離を
おけばいいのだと最近思います。

全然話は変わりますが、子供は親の所有物ではありません。
たくさんの本当の大きな愛を注いだり見守ったり信じたりが
親の役目だと思いますが、「自分の子供」だから「まあ
いいじゃん」と甘えるのは違うと思います。
近くて弱くて自分が育てる責任があるだけに、依存したり
コントロールしようとしたり上から目線であったり、相手の
状況を考えず境界線や尊重を欠くのが一番良くないと
思います。境界線や尊重は他人の話ではなく、身近な人
からの話です。
近くて弱い人に対しては、自分が弱い場合、魔が入りやす
かったりもします。
夫婦関係でもそうですが。
あ、もちろんしつけはしなくちゃいけませんが。
「しつけ」を盾に実は自分の甘えだったりという、自分の
マインドがどうか、というのを無視してはいけないと
思います。八つ当たり、とか嫌ですよね。

ちなみに、概して基本的に自分の子供含め、自分より後に
生まれてくる人の方が、エネルギーの光り方高さなど、
ずっと高い人が生まれてきていると思います。

魂の美しさや質、エネルギーの高さなどは、年上だから、
とか、大人だから、とか、もう全然関係ないです。
子供を本当の意味で尊重できるのが、ちゃんとした大人なの
だと思います。魔にも負けたりしないために、いつも
おおらかで安心・大丈夫・幸せな笑いのあるエネルギーで
いたいものです。
自分で弱さを感じている時は、クリアリングなどでエネルギー
強化したり、ほっとできる時間を作ることに努めてみて
ください。

Top