2017年6月19日
by Sun Dish
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ネガティブにもなれない(笑)

イライラしたり、傷ついたり、落ち込んだり、
ショックを受けたり怒ったりも含めて、ネガティブな
ことは生きていれば普通にあることであり、もちろん
私も日々の生活の中でしょっちゅう直面すること
ですが、そのネガティブな状態を長く保つと大変な
ことになるので、ああ〜ネガティブにもなれないなあ、、
とよく思います。

ネガティブな状態を続けると、ろくなことが起こりません。

ネガティブがネガティブを呼ぶのだと思います。
引き寄せの法則が本当によく働きます(笑)。

どつぼにはまってしまうことに気を取られて、そのことを
ついいつも忘れてしまうので、事が起こった時にハッとして、
ああ、切り替えんといかんかった、ネガティブではいられ
ないのだった、と何度も同じ経験を繰り返してきました。

そろそろ学習しないといかんなあ、、といい加減思う今日
この頃です。
もちろん、感じる気持ちを止める事はできないし、色々
感じるのが当たり前なのですが、長くその状態にいない、
ということです。

あ、補足ですが、ネガティブにどっぷり浸る、というのも
ネガティブを味わう経験だと思うし、浸りたい人もいると
思うしそれはそれでいいと思うのですが、自分がネガティブで
ネガティブを呼ぶ連鎖を感じている時、何かで切り替えようと
したり抜け出そうと努めると、結構ご褒美がついてきます(笑)。

ポジティブシンキング、ではなく、自分を救う行為なのだと
思います。ご褒美はおそらく、自分が出す切り替えエネルギー
での引き寄せだと思います。

2017年6月15日
by Sun Dish
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自分をゆるすことと謙虚さ

自分以外の誰かや何かをゆるすよりも、自分をゆるす
ことの方が難しいかもしれません。

どうしてあんなことをしてしまったのだろう。
(良くないとはどこかでわかっていても)そうするしか
なかった。

そしてそれをしてしまった自分をゆるすことはできない。
ゆるしてしまってはいけないような気がする。
ゆるしてしまったら、また同じことをしてしまいそうな
気がする。
ゆるしてしまう自分は、他人にも神さまに顔向けできない。。。

という罪悪感は、潜在意識にも自分のフィルターとなり、
自分が幸せになることを自分でも気づかないうちに禁じて
しまいます。
心の底から笑ったり、幸せを感じることを禁じているのは
自分だったりします。
自分が罪悪感を感じていることを他人から指摘されたり
したら、もう同調するしかなく、どんどん自分を責めて
しまったりします(本当は他人にとやかく言われる筋合いも
ないのですが)。

闇に足を引っ張られたり、、、と言いますが、ケースバイ
ケースですけれど、同調するエネルギーで引き寄せる原因は
自分にもあります。フィルターがそんなだと、自分の気持ち
とは裏腹に、自分の幸せを邪魔するようなことが起きたりも
します。
(光の)エネルギーを通したいけれど、全然通らなかったりも。

(自分のことで恐縮ですが@@;)夜中にガイドに「ゆるせ」と
言われました。ガイドやメッセージはいつも短い言葉ですが、
何について、とかは段階的であったりイメージと一緒に送られて
きたりでその意味は言葉ではなくとも理解できます。
そして、上記のようなフィルターがかかっていた自分に気がつき
ました。

まあそれはともかく、いいのかな、どうしようかな、なんて
思っていたら、「ゆるさない」自分は我(エゴ)なのだと
だんだんと気がつきました。

ゆるしてしまった際の上記心配事もありましたが、とにかく
自分に「ゆるす」と心の中でつぶやいてみて、何となく
心もそんな気持ちになって(直感ではさっさと手放した方が
いいのはわかっているのですが)宇宙に手放してみたら、、、
そこにはただただ優しく愛がありました。

「大丈夫だよ」と言ってくれる草花のエネルギー。
「学ぶために生まれてきたのだから間違えても失敗しても
全然問題ないよ」と言ってくれるガイドのエネルギー。
「同じことを繰り返したら、できるようになるまで経験するだけ」
というエネルギー。

自分だけが、間違いや失敗を犯した自分について、プライドを
ゆるせないでいたことに気がつきました。
どこかで完璧なのが当たり前、完璧な自分が基準、と思って
いたから失敗や間違いを犯したこと=「下がる」に直結していた
のだと思います。

言われてみれば、宇宙も全体も、エネルギーがある限り、
変わり続けているのだったと思いました。
だから、完璧もあって無いようなものだと思うし、どこまで
いってもずっと学びでずっと変容なのだと腑に落ちました。

だからこそ、柔軟に受け止めたり、謙虚でいることで
たくさん学び広がること、謙虚でいる姿勢が大切なのだと
思いました。

2017年5月29日
by Sun Dish
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ゆるすということ

ゆるせないことがあることは、苦しいことだと思います。
ずっと過去にとどまることになるからです。

あんなひどいこと、ゆるしていいわけがない、という人も
いるでしょう。
なかなかそう簡単には手放せないこともあると思いますし、
難しいこともあると思います。

それでも、過去は変えられません。

自分が「ゆるせない」と思う事柄を、どうやってゆるして
いいかわからないかもしれません。

でも納得いく理由が無くても、少しでも「ゆるす」ができた時、
もしくは別の言い方をすると、その過去は過去だと見切りを
つけて未来を見ることを心から自分にゆるせた時、
自分の中から温かいものが流れます。
それは愛のエネルギーだと思いました。自分から流れる愛の
エネルギー。

それを体験した時、ゆるしは、愛なのだ、と気がつきました。

そして、ゆるすことは手放すことだと知りました。

感情を入れなくても、感情が入らなくても、心の中で
「ゆるす」とつぶやいてみる。
言葉には言霊があります。
結構強力です。(私はこの方法で流れたことがありました。
自分にとっては大きな傷で、時間が癒してくれた後、
もう最後の最後っていう手放しの時だったからかもしれま
せんが。)

ゆるして一番解放され癒されるのは、実は自分自身です。

ゆるす時、傷ついた自分の感情を認めることはとても
大事なことで、ゆるすとセットだと思います。

どんな小さな感情も、「そんな小さなことでグダグダ
思うなんて恥ずかしい」などとは思わずに、傷ついた
自分も認めてください。

自分の感情に蓋をして、なかったことや気づかないふりを
重ねるのは、傷を重ねるのと同じで自尊心を傷つけます。
セットで本当の癒しと解放につながるのだと思います。

「傷ついたけど、でももういいよ。」と思えたら、
「過去は変えられないから前をみよう」と思えたら、
その時自分の中から温かいものが流れたら、どうぞ
ご自身を祝福されてください。
大きなことほど、ゆるすなんて、もう仕方がないよ、
なんて思うことなんてできない、と思えることほど、
それができた時にはどうぞご自身を祝福されてください。
同時に大きな安心感を手に入れられていると思います。

一度にはできなくても、長い月日がかかっても、
傷が癒されてそこから解放されますように。

2017年5月23日
by Sun Dish
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母の日は過ぎましたが。。。母の日とマリア様

先週の日曜日はグアムにおりました。

母の日がいつから日本にあるのかわかりませんが、
何も知らないので、日本のものだと思っていたら、
グアムに行っても日本と同じ日にちがマザーズデイでした。
たまたま行った時期が母の日と重なり、お店に入ると
店員さんに「ハッピーマザーズデイ!」と言われ、心に
沁みて嬉しかったです(笑)。
カフェの店員さんにも、バスの運転手さんにも、
「ハッピーマザーズデイ」と言われ、子供を抱っこして
いると、「今日くらい旦那に預けろ」と言われたり
しました(笑)。
あるスーパーには、「母は毎日祝福される!」と掲げ
られていたりして、日本よりも母の日が意識的であると
思いましたし、大切にされているように感じました。

母の日である5月14日の日曜日、バスに乗って移動して
いる時、教会を見かけました。「日曜の午前中だから
ミサがあるんだ・・・」とぼーっと見ていた次の瞬間、
「あ、今日母の日だ。ああそっか、マリア様の日なんだ!」と
繋がりました。聖母ですからね(笑)。

すべての母に、祝福を!!

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2017年5月11日
by Sun Dish
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ご連絡

いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。

5月12日〜16日まで、不在につきお問い合わせにご対応させて
いただくことができません。

ご不便をおかけいたしますが、お問い合わせいただいた
場合につきましては、17日以降にご対応させていただきます
のでご了承くださいますようお願い申し上げます。

2017年5月5日
by Sun Dish
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自尊心と愛

「私は尊い」なんて思ったりするのは、自分の中に
優劣を生むのではないか、と思ったりしてしまうかも
しれません。

でも、やってみるとわかると思います。

「尊い私」は優劣を生まない境地に至ります。

「私だけ」が尊いのではなく、
「私は尊い」「他の人も尊い」「誰もが尊い」と
いうことがわかること。

自尊心があるから他人も愛せること。

自尊心を持つ事は、「自分だけ」を愛することでは
なく、
自分が愛でできている、ということを認識すること、
愛でできているということを知っていること、
だと思います。

とても普通なこと。とても根源的で当たり前のこと。
だけど、とても大事で尊いことです。
そして、そのことを忘れている人や様々な経験の中
感じられない人もたくさんいることも事実だと思います。

でも、どんな人も、愛でできているのだと思います。

だって、またと同じ人はおらず、この広い宇宙の中に
生まれてきているのですから(笑)
とても尊いことです。

弱くなったり自然体でいられない時ほど、「私は尊い」を
思い出してください。
キツイ時ほど、何度でも自分に向けて思ってあげてください。

言葉には言霊があり、自分に魔法をかけてあげることだって
できるのです。

2017年5月4日
by Sun Dish
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あなたは尊い

傷ついたとき、自己卑下しそうになるとき、
心で批判したいとき、誰かや何かを見下して
しまう心が出てくるとき、自信がないとき、
不安なとき、隠れたいとき、見栄を張りたく
なるとき、
あらゆるネガティブ、あらゆるエゴが出てくると
感じたとき、

「あなたは尊い」

ということを思い出してください。

「あなたは尊い」

忘れないでください(笑)。

自信がないときは何度でも「私は尊い」を
自分に向けて思ってみてください。

だんだんと、背筋が整ってくるのを感じて
くると思います。

山が教えてくれました。

2017年4月17日
by Sun Dish
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自分の幸せの責任は自分にある

先日、
「自分が幸せになることが地球を幸せにする」と、
ふと入ってきました。
ああそうだった、そうだったとそれをメモっていると、
初めて、「地球」(マザーアース)を感じて、どうして
今まで太陽やら月やらとコミュニケーションしたり
しようとしたりしてたのに、肝心の自分が立っている
地球のことを忘れていたのだろう、、、と思いました(^^;)。

それはさて置き、そうしているうちに、
「自分の幸せは自分に責任がある」ということを
思い出しました。

それは生まれる前に自分が決めてきた宿命とか道のり
とかそういうんじゃなくて、どんな状況でも自分
を幸せにしようとすること、です。

だから状況が不幸、とか可哀想、とかいう概念
ではなくて、大変な状況の中にいてもそこから自分を
救ったり幸せを追求していくということ。
別の言い方をすると、どんな状況でも自分を敬い
自分に愛を与える、心地よい状況に導くということです。

それって、自分しかできないこと、生きているうちの
大きな仕事でもあるかもしれないなあ、なんて思いますし、
他人や運命のせいにできないから、それに気がついたら
シャカシャカと自分に向かいます(笑)

ボランティアも、どんな状況の中でも渦中にいる人が、
自分を見失わず幸せになろうと前向きになったり踏ん張れ
たりするように応援するのが筋なんじゃないかと、改めて
思いましたし、純粋でポジティブな(可哀想とか上から
目線ではない)応援のエネルギーが送れるのではないかと
思いました。

たくさん回り道をしてきましたが、ここ最近、底上げ・
底の概念覆しがハンパないです(^^)。
自分の心地よいものを信じ、心地よいものとコミュニ
ケーションをとることが自分への愛だとも気がつき
ました。

自分が心地よいこと、好きなことに罪悪感を持たず、
他人とは違う自分かもしれないけれど、そういう自分も
受け入れてあげることも愛ですね〜。
やってみるとわかります。きっとホッとします。

インスピレーションで受けた自分へのポジティブな
言葉も、どうぞ喜んで受け取られてみてください。

2017年4月1日
by Sun Dish
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自然体と静けさと

自然体とは、頭で考えたり感情的になったりしないで、
自然発生的に自分の中から沸き起こる感情や
反射的な動きだったりするものだと思います。

自然体で(自然体の自分も客観視・観察・必要あれば
直しをするのですが)自分が整えられていると、体は楽に
リラックスして、自分の呼吸をよく感じられます。
とてもとても静かです。

宇宙からのエネルギー(愛⭐︎)は自然体の整えられた
状態でよく入ってくると思いました。

そのために、先入観と偏見を捨てるのは大きなポイント
だと思います。
まっさらにして頭で考えない、ただ感じること。
「何も感じない」という自分も受け入れ、良い悪いや
ジャッジしたりせずただそうある自分を認めること。
感じなくても焦るポイントじゃないところです(^^)

また、その人に必要な気づきがあれば、光も闇も気がつく
までうるさくしぶとく(笑)やってきて、人生はその
繰り返しだったりもする一面もあると思いますが、
それがその人にとって必要であればあるほど、
気がついたときにはものすごく静かになると思いました。
静かでとても平和な感じです。

自然体で静かで平和な感じを常にキープし、感情や思考が
乱れても、ここに帰ってくるように整えればいいのだなあと
思いました。

感情や思考についても、客観視し、自分がどうなりたいか
どうありたいかを確認する手段にして、整えていくもの
なのだなあと思いました。

2017年3月11日
by Sun Dish
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感覚的に理解する

私にとっては、現在、直感に従わないことがエゴで
生きることであり、直感に従うことがエゴを捨てる
ことになっています。
直感は自分のマインド(心や意思)と真逆だったり
するので、自分の中での葛藤が大変です、
でした(^^;)。
葛藤が激しいから必要以上にエネルギーを使って
(例えば食べすぎるとか)浪費するのだなあ、と
最近気がつき始めました。
もう、毎瞬毎瞬が直感レッスン(エゴ捨てレッスン 笑)
のような感じで、さっき皿を拭いていたかと思えば、
さっさと中断してコーヒーを一口飲む、とか。。でも
後からその意味がわかります。その時しかタイミングが
なかったり、一口飲むことで切り替えができる、とか、
後からわかります。

それはさて置き、先日も書きましたが、「人間は元々
感覚的なものである」ということがわかると、
スピリチュアルの理解も早いです。
、、、というより、頭では理解できません。
何となく理解できても、理由や理論を求める頭では
理解は難しいと思います。私もこれで苦労しました。

でも、感覚的になら、すんなり理解できます。
頭で考えるより、ずっと早いです。

感覚的に、、、とはどういう感じかというと、
私の場合は、体全体を使って、または、体の周辺で
感じる、ということだと最近気がつきました。

音楽を頭ではなく、体全体で聞いたり感じたりするのと
同じです。

面白いことに、英語のヒアリングを頭で聞こうとすると
全然聞こえないのですが、自分の体から離れた場所に
意識を持っていく(特に肩より下で体から20〜30センチ
くらい離れた場所。私の場合は足元の時もありました 笑)
と、よく聞こえます。

自分の体の周囲から見たり聞いたり感じたりするように
すると、ゆったりと落ち着いて全体が見える、全体を感じ
やすくなるようで、私の「感覚的」というのは例えば
そういう感じです。

そしてそれが感覚的に掴めたら、いかにそれまで「頭」で
理解しようとしていたかがわかるかもしれません。

エゴの位置というのは、物理的に体の「頭」の部分です。
でも、ここを感じ始めるのって大人になるにつれて
学校や社会が「頭の良さ」を求めていたり価値を置いて
いることを自然と刷り込まれたりしていく中であって、
それまでは感覚的にものを覚えたり体感したりしていた
はずです。
だから自然体でいられたのだと思いますが、特に「頭の
良さ」に価値を置く人程、エゴが強いように見受けられ
るし自然体から離れていくし、感覚という大きく広い
可能性を使わないので苦しくなっていくのだと思います。

見ていて、うっわ〜神業!かみってる(笑)!って思う
人程、感覚を最大限に使っているように思います。
大事なのは、「頭」というより、「感覚」がキーなのだと
思いますし、その感覚自体、また感覚があることが、愛を
与えられていることだと思います。

長くなってすみませんが、何かちょっと苦しかったり
ストレスを受けた時に、体から20〜30センチ離れた
肩より下、私の場合は特に左側を感じると、息が
ふっとできて一瞬楽になります。
どうしてか質問してみたところ、「愛があるから」と
返ってきました。

呼吸ができて楽になる=つまり、愛のエネルギーがある、
ということで瞑想や呼吸法も大事なのだということにも
行き着きましたが、空気があって初めて人間は生きて
いることができます。
空気があること自体が愛で、それは地球上どこにでも
あります。

すぐそこにいつでも愛があり、いつでも常に包まれて
いるのだと教えられた経験でしたし、肩より下の左側
とか(笑)自分の周囲のエネルギーについても面白い
発見と新たな課題を見つけられた経験でした。

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